★ 夏海の日記 ★

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2006年07月14日(金) 臓器移植

はぁ〜
ここ最近、『過去の清算』が上手くいきません
ちゃんと くずレモン食べてるのにぃ(T^T)
今朝は久しぶりに朝から軽く呼ばれたので、トイレに行ったところ
『軽く』なだけに、ほんの気持ち程度の清算しかできませんでした
そろそろアロエ粒の季節かなぁ
毎日きっちり『過去の清算』ができるteaが羨ましいわ。

さて、今朝の話題は、『臓器移植』についてでした
teaは反対派
自然にまかせたら死に行く者を、移植なんて不自然なことまでして生かしてどうするんだ!?って話は、前々からしてたんだけど、
私は友達が臓器移植(母親のを生体間移植した)したから、
また、先輩を白血病で亡くしてるし、友達のお母さんもやっぱ白血病で亡くしてるから、
移植して助かるんだったら、生きていて欲しいと思う。
私は自分の眼が好きだから、盲目の友人が私の角膜で目が見えるようになるなら、角膜を提供したい。
(ただ、友人たちは、今更恐くて、目なんて見えなくて良いと言っているが…)

私はもともと私が死んだ後の肉体に執着していない。
って言うか、今でさえ体に執着していない。

私の体が誰か、何かの役に立つなら、使って貰えたらって思う。
臓器や皮膚や骨などの移植や、献体、
飢えた人に食べて貰ってさえ良いと思ってる。
この栄養たっぷり(-.-;)の体は、せっかく良い肥料になるっていうのに、
燃やしてしまって土地でさえ肥やすことができないなんて、勿体ないとさえ思う。
生き物の命を貰って生かして貰ってるんだから、この私の体を使って役に立つのであれば、何がどう使ってくれても構わないと思う。
鳥の餌になれる鳥葬は、私にとって天へと昇る儀式ではなく、もっと単純に他者を生かす糧(かて)として良いと思うし、
ガンジス河へ流したり、海へ流したりして魚の餌になるのも良い。
その生かされた命は、やがて他の何かを生かす糧(かて)になって、
命のリサイクルの一つになることは、私の大いなる夢なのかも知れない。

で、戻って移植。

今朝のteaの話は、いつもの攻撃的な話ではなかった

臓器移植をして助かった人が子孫を残し、
その病気の遺伝子を引き継いだ子孫は、
また臓器移植をしないと助からない病気を発病する確率が高く、
その遺伝子を敢えて後世に残す必要があるのかと。

うーん
そうきたかーって
そこまで考えていなかったよ。
今ある命だけしか考えてなかった。
その遺伝子が次の世代に、確かに受け継がれていくんだよね。
良いも悪いも含めて。
臓器移植をする為に海外へ渡り、
その資金は善意のカンパで集め
人の死ぬのを待ち侘びてまで、あんたは生きたいのか?と問いたいと。
その問いに、「はい」と答えるなら、うーん考えても良いとtea言った。

考えてついたのは、トイレの中で『過去の清算中』だったらしい。
「そう言えば、アメリカで腸を移植した人が、最近亡くなったよな」ってことを思い出したのだそうな
腸?
そりゃまた凄いねー
「大腸?小腸も含めて全部?」って聞いたら、「全部なんじゃない?」って言ってた。
teaが仕入れた情報によると、腸が機能しない病気だったそうな。

食べたものが胃で消化され、腸で吸収される。
腸で栄養が吸収されないとなると、衰弱して死ぬしかない。
もしくは、点滴によって、直接栄養を血液に送り込むか。

私は膵炎(すいえん)で、1ヵ月半の間、絶水食で1日中点滴をして過ごしたことがある。
点滴って、すごいねー!
ある程度まで体重が落ちたら、それ以上痩せなかったし、
どういう仕組みになっているのか判らないけど、ウンチまで出たのだよ!

ってか、
そっかー!大腸も機能しないってことは、排便も微妙ってことなのか…

腸は、べらぼうに長く、ちょこっとだけ分けてねってできないだろう。
少しずつ細切れに貰ったところで、その人数分の拒絶反応が起きるだろう。
やっぱ死体からの移植しかないのかーと言う話から、移植談義になった訳だ。

お金が用意でき、移植できる国に行けて、自分の命が尽きるまでにドナーが見付かれば、移植ができる。
待っている間にお金が尽きてしまったら、諦めなければならないの…かな?


母親を癌で亡くした友達が言ってた。
発見された時には、もう末期で、治療は何も意味がない。入院も不要だと言われた。
だからと言って何もしないでは、自分を納得させられない。
もしかしたら、どうにかできるかも知れないと希望を持ちたい。
だから、母親に、放射線治療をして欲しいと頼んだそうだ。

健康オタクで、化学ものが一切嫌いな母親は、
子供たちの頼みを聞いて、ほんの数回治療をし、
その後は、自分の意志で単身沖縄へ『民間治療』を受ける為に飛行機で旅立った。
もう最期だという状況になるまでこちらへは戻らず、
帰りの飛行機に乗る時に、(気圧の変化や離発着のGなどで)死んでも文句は言いませんと一筆書かされたらしい。

にしても、あっぱれ!かあちゃん!って感じだった。
姑に散々泣かされ、
黒いものを白と言い張れるようにならないと治らないと医者に言われたウツを克服し、
頼りにならない夫の代わりに店を切り盛りし、
死にゆくまでの期間、あの家にいたくなかったんだなと思った。
今まで頑張って生きて来たんだから、死ぬまでの間、自分の好きにして良いだろう!
で、選んだのが沖縄の青い空の下だった訳だ。
やるべきことは、した。
なすべきことは、やった。
自分の考えで、自分の選択した場所で、自分が選択した方法で。

友達は、たまったもんじゃないよって言ってたけど、
お金があって、それが出来るんであれば、やりたいようにやるのが最期の孝行だろうと思った。
口に出しては言えなかったが。


おっと!
随分遠くまで話が飛んでしまったことだよf^_^;

今、病院での時間待ちです。
受け付けから、50分経過。
そろそろかなぁ…
お腹が空いたぞー!


と言うことで、またもや臓器移植。

teaは、遺伝子のことをよく話す。
『遺伝子は多様性を求める』は、teaお得意の口癖で、マスターキートンにでも出て来たのかも知れない。

全てが同じだと、種(しゅ)として弱い。
天変地異や病気などによって種が滅びない為には、亜種が出現しないといけない。
その菌を体内に持っていたお陰で、他の菌に感染しないで済んだ。
その体内に持っていた菌は、実は身体に害のあるものだと駆除されていたものかも知れない。

例えば、鳥インフルエンザ。
とうとう人から人への感染に進化したのだそうな。
それは人間から駆除されてしまわない為に。

地球がひとつの生き物だとしたら、
例えば戦争や憎むべきテロも、増え過ぎる人口を減らす為に『地球の遺伝子』が人類を操作しているのかも知れない。
地球に人が住める人口の限界は、どれくらいなのだろうか?
増え過ぎて餌が無くなって絶滅していった動物たちと同じことが、
私たち人間に起きないと楽観視はできない。

もしteaの言うところの『遺伝子は多様性を求める』のであれば、
移植をして生き残る道すら、『多様性』の一部ではないかと思う。
生き残った遺伝子が次の世代に伝えるのは、人類が生き残る為に必要な遺伝子である可能性もない訳ではないと思う。

(ここで、やっと順番が来て、先生に会うことができました ^^v)

自分達が子供の頃よりも、障害を持った人が増えた気がするってteaは言う。
『サバン』という言い方をteaはするが、ADHDや自閉症、などの、言葉は判らないが『高機能障害』?って言うの?
ある特出した才能はあるが、実生活ができない。または実生活には不器用な人たち。
それは、ジミー大西や、裸の大将のような、絵を書く才能だったり、アインシュタインのように、ダ・ヴィンチのような天才だったり。

過去のように、『隠す』ことをしなくなったので、見かける機会が増えたせいもあるだろうが、
胎内で、生まれた直後に、生後1年の間に、子供のうちに、『死んでいた子供』が、
助かって生き残る医療の進歩のせいだと言うteaの言葉に、そういうことも確かにあるかも知れないと思う。
私は女性で、産み育てる性(せい)なので、無くしたくないと思い、死なせたくないと思う。
助かるのであれば、助かる道を選びたいと思う。
『何が幸せなのか』 は、私は自分レベルでしか量れない。

死ぬべき命は、死ぬべきで、医療で不自然に引き止めるべきはないとteaは言う。
死なないから、生まれなくなったと、日本の 先進国の少子化の問題を語る。
その証拠に、生まれても死んでしまう子のいる国では、次々に生まれているではないかと。
teaの分析は 正しいかも知れない。
ただ、そこには冷静な分析や理想論があるだけで、心が伴っていない。

親が早く死ねば良いと言ったteaが、入院した父親をとても熱心に看病し、
その姿を見て、私は自分の親をここまで親身になれないだろうと感心した。
減らず口を叩きながら、母親と仲良くしているtea親子の姿をほほえましく見ている私がいます。

他者を思い、肉親を『存在していないもの』としている私と
何だかんだ 口では 減らず口を叩きながら 結局は 情が厚いteaと
本当は どっちが 『優しい』のだろう?

臓器移植の話をしていて、そんなことを考えた日でした。


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