★ 夏海の日記 ★
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前にも書いたかな?私の宗教観
世界中で宗教がらみの戦争をしているのは、とっても悲しいことで、私には理解できないんだけど、 確かに キリスト教の旧教(ユダヤ教とか?)を信じて 唯一無二の『神』と言う存在がいて、死んだ後に天国に行くためには これをやっちゃいけないっていう(モーゼの十戒?)戒律(規則とか法律とかお約束事って考えると分かりやすいかなぁ)とかあって、 それを忠実に守って来た人にとっては、救世主イエス・キリストが「懺悔」や「祈り」だけで 罪人の罪を背負ってくれて、みんなが天国に行けますよって言っちゃったから、おりゃーーって ちゃぶ台ひっくり返したい気持ちも解らない訳じゃない。 でもさぁ 死んだ後に、はい!キリスト教の人はこっちですよー 仏教の人はこっちですよーー って、旗を持った人が誘導なんかして、別々のところに行くとは どうしても思えないんだよねーー
死んだら みーんな一緒じゃん!って。
魂に肌の色や性別が分かれているとは思わないし、 国境なんて ないし 年なんて 当然関係ないし 時間なんて、関係ない世界だろうし
って、ここまで読んでくれた人はあれ?って不思議に思う人もいるかな?
私、魂ってあると思う派なのね。 今生きている この体は、ただの入れ物で、死んだら この思いは魂となって自由になると思ってるの。 これは、人間だけの話じゃなくて、木にも、魚にも、ウシや豚やその他の動物にも、虫にも爬虫類や雑草や微生物にも みーんなみんなに魂があって、 だから、食事をするときに「(あなたの命を)いただきます」って私は手を合わせてからご飯を食べるのね。 生物の命(生命力や生きる力や活力やら)を貰ってしか 私たちは生きていけないから、貰った生命たちの分 ちゃんと生きていかなきゃって思ったりするのね。
生命の命を貰って生きている人を大切に扱わなきゃって思うし、大切に扱える人になりたいなぁって思うの。 前の日記に、宗教に勧誘されましたって書いたんだけど、その人が言ったの。 この宗教に入信していない人は 地獄に落ちるって。この宗教に入信した人だけが天国にいけるって。 でね、質問したの。あなたの先祖は、入信していたの?って。 彼女は、もうすでに両親を亡くしていて、でもきっぱり言ったの。 「地獄にいる」って。 だから、親のために祈ってる。親が天国に行けるように 祈ってるって。
学生の頃に、やっぱり ある宗教に勧誘されたのね。 彼女は、「もうすぐこの世は滅びる。自分と母親と姉妹は入信しているけど、父親は入信していないから、その時には父親は地獄に落ちる」って言ったの。 私には理解できなかった。
最初に書いたよね。 はーい ○○教の人は、こっちですよーーって旗を持った人はいないんだって思ってるって。 私は死んだ弟や叔父や祖父母や友達、先輩が地獄に落ちたとは思えないので(だって、あんなに良い人、善人たちばかりなんだもん)、はぁ?って感じだったんだけど...
弱っていた心に、「生命力をつけましょう」って甘い言葉に、ついついの乗ってしまったんだよね〜
でも、心が健康になってくると、思考回路が基本的なことを思い出すの。 私は間違っていたって。本当に心が弱っていたんだなぁって気が付いたの。
入信してしまった宗教は、悪い宗教ではなかったので、すぐにやーめたってできたけど、心が弱ってしまって、悪い宗教や団体につかまってしまった人は、大変だろうなぁって思う。 その弱さに付け込むのが、新興宗教だったり、怪しい団体だったりするからねぇ。
あら またもや道がそれてしまったことだよ^^;
でね、私の宗教観。 全てのものに 神が宿るって思ってる。 日本古来の考え方に近いのかなぁ? 八百万(やおよろず)の神々って感じ? 神って言うと 大げさなんだけど、海にも 山にも 風にも 川にも 大地にも 樹にも 草にも 全てに生命力があって、全てのものを おろそかにしてはいけない。軽く見てはいけない。侮ってはいけないって思う。
山に行くと、海に行くと、水辺に行くと ホッとしない? ほら!マイナスイオン効果 とか、森林浴とか よく言うじゃない? 樹に触ると 癒されない? 水に(プールやお風呂でさえ!)体を沈めると、羊水の中にいるように、何だか安心したり、リラックスしたりしない? 土や砂浜を裸足で歩くと、気持ち良くない?
何かで読んだことがあるんだけど、木は、大地に根を張っていて、土の中で全ての木がつながっていて、木を大切にしたり仲良しでいると、他の土地に行っても見守ってくれるって。かなり童話な話なんだけど、これ、私は信じてるのね。 地球の大地は全てつながっていて、だから、私はどこへ行っても大丈夫だって思える。 触ってみて、私と相性の良いって思える木は、桜とこけももと、あと何て名前の木なんだろう... 近くの公園で、何度も「怖い」を取って貰ったり、慰めてもらったりしたのね。 体から吸い取って貰ったっていう方が、分かって貰えるかなぁ
大地や自然は、私が生まれるずーっと前からそこにあって、その自然に元気を貰って、自然に貰ったエネルギーで育ったもの達を食べて生きていくこと。 そして私も自然へと還って行く。
私の宗教観って、私が私でいること、私を生かしてくれているものたちに感謝すること。自分は生きているんじゃなくて、生かして貰っているってことを忘れないでいること。
きっと何にも属さない、オリジナルな考え方だって思うのね。誰から教えてもらったものでもないし、押し付けられた考え方でもない。 色んなことがあって、ここまで生きてきて、でも結構ちっちゃい頃からだけど、こういう考え方があったかなぁ。
で、思ったの。 ああ!私ってオリジナルなんだ!って。 誰とも同じじゃない、私は 私なんだって。 なぁんだ!なら、誰とも合わなくても当たり前じゃん!って言うか、無理に合わせようとしてたこと自体、間違いだったんだーーって。 だから、無理がたたって、こんなんになっちゃったんだーーって。
数年前、私が もうダメだーー。もう生きているのが辛いって思った時に、私にこう言ってくれた人がいたの。 「最悪、もうダメになったら、私が殺してあげる。だから、それまで生きよう」って。 自分が殺人者という罪を被ってまで、私を楽にしてくれる人がいる。私のことを考えてくれてる人がいるって思って、もう少し生きてみようかなぁって思った。 ここがポイントなんだけど、一緒に死のう じゃなくて、一緒に生きようって言われたのね。んでもって、最悪一緒に死のうって言われなかったのがポイント。
なぜって?
一緒に死のうって、やっぱり後ろ向きなんだよね。 どんなに弱っていても、私は一人で立っていたかった。 相手を巻き込んで、一緒に死にたい訳じゃないの。死ぬなら自分で死ねる。(当然こわいけど) でも、その人は、私を殺してくれるけれど、殺した罪を背負って生き抜いていく人だったのね。
少し前に(今日は、9月7日だったりする^^;)また怖いが襲ってきた時に、同じことを言われたの。最後まで一緒にいるから。今でもその気持ちは変わらないからって。
私は思った。何か違和感があるって。 この違和感は、一体何なんだろう?ってよく考えたら、気が付いたの 私は 生きていたいんだって。 自分を傷つけたくて仕方がなくて、包丁やハサミに誘惑されて まだ怖いけど、でも死にたい訳じゃない。私は生きたいんだって。もう殺されたくはないんだって。
そう思い至った時、何かを卒業したんだなぁって思った。 何か は、わからないけど、何かを卒業したんだって思ったよ。
まだ怖い思いは いっぱいある。 不安も 問題もいっぱい、いっぱいある。 でも 私はここで生きているし、これからも生きて行く。生きて行きたいと願っている。そして未来には、ちっちゃくてささやかな希望が見える。(緊張しないで一人で電車に乗れるようになった とか、今年の夏は、何とバスに乗って花火を見に行けたし)
相変わらずとりとめが無くなってしまったけど、 あのね、みーんな 私のようになれるんだよ。 今は、辛くても、少し未来には、みーんな、私のように未来に希望が持てるようになって来るようになるからね。 焦らないで、『その時』が来るのを 楽しみにしていてね。
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