やっぱり僕は噺家じゃなく、文章家のようだ。僕はこうやって、何かまとまりのある文章を表現するときに、口を使うとものすごく下手になってしまう。文章だと、何度でも推敲できるし、ひょっとしたら韻を踏んだりなんかしちゃえるかもしれないし。とにかく、僕には考える時間が必要なのだ。 喋ってしまうと、喋り終えた後に「ああ言えばよかった。」とか「あの話もすればよかった」とか後悔の念が大きい。口語が一度きりだから仕方が無いけれども。その分、この日記だってエンピツさんがつぶれない限り、一番最初の日記も編集できるし、書き込みボタンを押さない限り、この文章が世に出ることも無い。 「音声の無い言語など存在しない」とコミュニケーション論で聞いたことがあるけど、音声だけじゃなく文字を発明した祖先に感謝したい。文字は人類最初のデジタル記号にして、最大の発明ではなかろうか。書き換え可能で、学習した人なら誰でも使える。こんな便利な物は他にあるまい。 でも文章は字面以上のことを話さない。「行間を読む」とか言っても、所詮は読者の想像に過ぎない。僕が今何を思いながらコレを書いているか分かりますか?考えてみてください。 頭のいい文章家なら、行間読者にある方向性の思考を与えることができるだろう。僕もわずかながら、「読んでくれてる人はこのことに気付くかな〜?」と考えながら言葉を選んでいることもある。 そんなに意味深な言葉が登場するわけではないのですが、僕の日記にはさりげない言葉に核にも匹敵する想いが詰まっているのでございます。 PSでも実際はうまく喋れるようにもなりたいなあ。
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