Yoshikiの日記

2005年01月05日(水) 一部ネタバレを含む。

 予告どおり(←どこが予告どおりだ[←むしろ、暗示どおりというべきか])、「いま、会いにゆきます」を見た。
 ここで注意しなくてはいけないのは、ひらがなと漢字の使い分けだ。最初の「いま」は「今」と漢字に変換してはならない。変換してしまった場合、「こん」と読めるかもしれないからだ。そして、「会い」も重要なポイントを含んでいる。もちろん「会う」の連用形であるわけだが、「合い」としてしまっては意味が全く通じなくなる。ちょっと文学チックに「愛」としてもよさそうなところだが、全体のバランスが「愛」に偏ってしまうため、避けるべきである。「世界の中心で愛を叫ぶ」等のような時には大いに使用してもらってよい。そして最後に「ゆきます」には二重のトラップが仕掛けられている。思わず変換キー(あるいはスペースバー)を連続して叩くと、「ゆきます」が「行きます」と変換されてしまう。これでは先ほど紹介したように「いきます」と読まれてしまう可能性が出てくる。さらに調子に乗って変換を続けると、「逝きます」となり、すでに榎田マオさんは他界してしまうのである。これでは話が続かない。もちろん「往きます」とも変換できるのだが、この場合だと巧さんの元からいつかは帰らなくてはならないということを暗示させてしまうので、この漢字の使用は避けなければならない。言わずもがな、「ユキマス」は論外である。
 以上のように考察すると、この映画のタイトルを文章にて人に伝える時には細心の注意を必要とする。よほど漢字についての配慮をすることの出来る人間になるために、国語は学校教育の場で大いにウェイトを占めてよい。

*参考*
「今会いに行きます」
「いま会いにいきます」
「今愛にゆきます」
「いま合いに逝きます」


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