Yoshikiの日記

2004年07月03日(土) 教師としての立場。

 佐世保同級生殺害事件について考えてみる。
 この事件はインターネットでのやりとりを経て、加害者に殺意を抱かせたことが発端となっている。この事件から得ることは「教師が生徒間のネット上での親密度をどこまで知ることが出来るか」ではないだろうか。インターネットが無かった時代は、友達と仲良くなるには一緒にどこかで遊ぶことが手っ取り早かった。今回のような場合に彼女たちは場所こそ現実世界ではないが、チャットやらサイトやらの同じ場所で遊んだのだ。
 ここで明確な差が出来る。前者の状況下では喧嘩をしたとしても、すぐに周りの噂が立って、教師の耳にも入りやすい。大抵、遊び場所が地元であるからだろう。目撃者が多いと言い換えるかもしれない。しかし、後者ではアクセスしている者しか喧嘩の事実を知ることが出来ない。つまり、当事者が喧嘩(だけにとどまらず、ポジティブな場合でも)の事実を誰かに話さない限り、周りは知らないのだ。いっそのこと、ソシオメトリックテストでもやれば話が早いのだが、そんなことしょっちゅうやれるわけが無い。
 ということで、教師が生徒と接するいかなるときでも、生徒の関係をどのようなものかある程度知っていなくてはならない。ネット上の関係まで詳しくわかるわけが無いのは当然だ。だがそこで限界を感じて、教師が生徒の中に入っていくことを拒否してはいけない。「昨日、こんなサイトを見つけたよ。」という他愛も無い会話から、生徒がネットで味わったいやな思いを吐き出してくれる可能性は大いにある。また、ネット上に限らず、それぞれの生徒たちが作るグループの中をうかがい知ることは、今回のような事件を未然に防ぐことにつながる。
 生徒理解の第一歩は教科書で心理学を勉強することではなく、現場で会話をすることだと思う。それから、「先に住民となった者がルール」と言うとある移民大国のようなネットの世界に少し疑問も感じたりする。


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