moonshine  エミ




2004年10月31日(日)  ルールなんていかにも小さな

吉田修一の『パーク・ライフ』(文春文庫)、表題作を読了。とぎれとぎれに読んだせいもあるのだろうが、何となく小粒な印象。彼の作品が私の中で特別な位置にあるのは変わらないし、読んでいる間の充実感は高かったけれど。これが芥川賞をとるんなら、むしろあっちのほうが・・・なんて思わないでもなかったな。

「グリンピース」(『熱帯魚』文春文庫所収)、「熱帯魚」(同左)、「Water」(『最後の息子』文春文庫所収)、吉田修一の短編・3傑は私の中では変化なし。この3つはほんと、いいよー。「パレード」(幻冬舎文庫)は長編なのでまたちょっと違うところにある。この人の好きなところは、エリートも、肉体労働者も、恋も家族も仕事も、まったく同じ次元で書けるところだな。無関心と苛立ちと切実さが根底を流れてるのがたまらん。

シーツの洗濯をして、また寝る。なんでこんなに無気力なんやろう、と責める気持ちと、疲れてるんだから休みの日くらいのんびり過ごせよ、と許す気持ちが交差。起きて、掃除や台所の片付け。急いで準備して家を出る。今日は実家で夕飯をとる(といっても外食ですが)約束になっているのである。

電車を待ちながら、そういえば最近、仕事以外の約束で、時間を守れたためしがないな、と気づいて憂鬱になる。会ってしまえばまったく楽しいのに、家を出るまでに着替えたり、化粧をしたり、部屋を片付けたりするのが、ものすごく億劫で仕方なくて、遅れてしまう。なんだかなー。

ロイヤルホストで母と姉と夕食。こういうときに父が加わることが滅多にないのが我が家のスタンダード。うちの父親(職業は自営の不動産)は農家なみ、1年365日、5日間くらいしか休むことがありません。日曜日もたいていネクタイ締めて仕事へ行く。事務所で寝ていたりパチンコしたりしてることもあるのかもしれないが、それにしてもけったいな人生を選んだ人だ。

いったん実家に戻って日用品などもらい受け、帰ってきた父親に駅まで車で送ってもらう。5分たらずの時間だが久しぶりに父と話した。つい先日、2億3千万ほどの契約が成立して(もちろんそれが父の会社の売上になるわけではないですよ)、少しほっとした模様。しかしそうなると税金が大変らしい。前期に払った額を聞いてびっくり。うちの会社(いちお、商法上の大会社)だってそんなに払ってたっけ? 瀕死のときも多々ある零細企業が、とある年にたまたま収益をあげたからってそんなに払わなくちゃいけないなんて、日本の世の中って・・・? 一度、父の会社の決算書を見たいと思っているのだが、たぶん父が死ぬ前に見ることはないでしょう。うちでは不思議な家父長制が生きていて、父の仕事に口を出すことは許されないという不文律がある。

私は奨学金で大学に行った。つまり親の所得はある基準をじゅうぶんに満たして低かった(なんか変な日本語)。返還は自分でしている。国立の大学だったので総額200万ほど。15年かけて返していく。先日、ふとそんな話になったら相手が驚いた。彼女にとって、学費を親が出してくれるのは当たり前のことらしい。もちろんそんな家庭も大勢あるだろう。でも、うちみたいな家庭だって珍しくもなんともないだろう。

九州大学出身、と福岡でいったらエリートみたいな目で意地悪く見られることがあるけど、気持ちに余裕のないときの私に言わせれば、塾とか予備校とか私立とか専門学校とか高い授業料を親に払ってもらって、汲々とバイトする必要もなく、仕送りなんかもあったり、外国に行かせてもらってみたり、卒業しても親のお金を頼れるような人たちのほうがよっぽどエリート。

まあもちろん、若いときに金銭的苦労をするもしないも、どちらにも子供の責任はまったくないわけで、私だって別に蛍の光で泣きながら受験勉強したわけでもなければ、大学ではとんと怠けて授業料の元なんてとってないし、人のことなんて何も言えません。とにかく、ひとつの外見的事実で人を判断するような狭い人間になってしまうことが、いちばん恥ずかしいことなのでしょう。

帰宅後、森博嗣の『黒猫の三角』(講談社文庫)、一気に読む。シリーズ第1作であることを逆手にとった小憎らしいラストに戦慄、ちょっとびくびくしながらお風呂に入る。3時半をまわってしまった。これからアイロンがけと洗濯物の片付けしなければ。やればすぐ終わることだが、とてつもない難行に思える・・・。





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