| moonshine エミ |
| 2003年05月24日(土) 胸に咲いた小さな花 | ||||
| 12時半にゆうきちゃんと待ち合わせ。 早良市民センターにて、劇団SAKURA前線『サンセット・シンドローム』を見る。 先週の劇団GIGA『化わりもの』のアングラさ加減とはこれがまあ、面白いほどに対照的な正当派の劇であった。 感動的だった。事実、後半は会場じゅう、すすり泣きの声に包まれていた。 わかりやすさ、素直な展開が、多少天の邪鬼な私の目にも「うすっぺら〜い」なんて思わせることもなく、いや、むしろ非常に好もしく映った。鬼の目にも涙とはこのことか(違う。) 情緒ある内容だった。 現代と幕末が交差する新撰組モノで、そう、この劇団SAKURA前線のウリは、チャンバラなのである。さすがに迫力あった。 沖田総司を演じたのは女性だったのだけれど、目元の涼やかな白皙の美少年、しかも剣の腕は天才的という、総司の一般的イメージ(実際は、色黒でエラが張った、美しくもない若者だったらしいよ。)をぴったり見事に演じてらした。華があり、言葉が心に一直線に斬りこんでくる。ひきこまれてしまった。 周知の通り、沖田総司は若くして結核で命を落とすんだよね。 『「総司のやつはどうして、ああ明るいのだろう。 あの若さであれほど死に対して悟りきった男もいない」 と(近藤勇は)感心するよりも、むしろその明るさを悲しんだというが、 沖田には(中略)天性、生命が、 そういうぐあいにできているところがあった。』 とは、司馬遼太郎『新撰組血風録』所収の短編「菊一文字」の一節であるが、 そういう明るい性根、そして凛とした芯が、すごくステキ☆な演技だった、なあ。 土方歳三のニヒル(これって死語だなあ)さ、原田左之助の鷹揚さもイメージどおり。 伊東甲子太郎の扱いはひどいものながらも、ウケた。 そして藤堂平助! 涙涙の役どころ。 総じてみんな、愛すべき人物として描かれていたな。 そう、私は大学時代に司馬遼太郎の『燃えよ剣』を読んで、ひところ新撰組にハマってたのだ。有名な隊士のことは一通り知っている。京都に旅したときは壬生寺にも行きました。 「こ、ここで、総司が近所の子供たちと遊んでたのね・・・」とか言って。 あえて難をあげるとすれば音楽で、笑わせる目的で西城ヒデキが流れるのはともかく、チャンバラの場面でB'zとか流れてくると、ちょっと萎えます。 それはさておき、 「あー余韻に浸っちゃうね」と言いながら会場を出て、感動を語り合いながら、その勢いで藤崎から天神まで歩いてしまった。一時間以上かけて。 若いなあ。 喫茶店でゆうきちゃんのデザイン作品を見て感動。意欲あふれる数々の作品であった。我々、いまちょっと一緒に楽しい遊びに取り組んでいる。改めてやる気が出た。 大名のギャラリーに立ち寄り、若い女の子の絵や人形などの作品を見る。 描き手のあたたかさ、かわいらしさにみちた小さな空間ができあがっていた。これまた感動。許可を得て、写真を撮らせてもらう。そのうちUPします。 古着屋さんやTシャツ屋さんなどで、楽しく見るだけショッピング。 一時間だけカラオケに行く。沢田研二の名曲の数々にチャレンジ。 九州の遅い夕暮れも過ぎて、赤坂でまりちゃん・みかちゃんと合流し、食事。 おいしくて安い大人気の店だった。大皿いっぱいのサラダが100円。 みかちゃんはこの4月に福岡に戻ってきて、会うのは1年半ぶりくらいだった。相変わらず、小鹿のようにかわいい。 まりちゃんは、きのう仕事で遠足(!)に行って筋肉痛だった。 大学の研究室が同じだった我々4人なのだが、みんな見事にバラッバラの環境で仕事をしていて面白い。 ゆうきちゃん、ジントニック1杯で酔っぱらってヘラヘラ。 あの酔い方はいい感じだなあ。 帰宅後、新撰組関連の書籍を本棚からひっぱりだして、パラパラ拾い読み。再び余韻に浸る。 で、これから、司馬遼太郎の『沖田総司の恋』という短編を読もうかというところ。 あら、もう2時半だわー。 今日のタイトル。スピッツの歌に確か、こんなタイトルあったと思う。 ずっと聞いてないけど、なんとなく思いだした。あの歌のような感じの今日だった。小さな花が数々。 |
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