| moonshine エミ |
| 2002年11月10日(日) くじらのおなかで夢を見る | ||||
| ああ、やっと日記が書ける。 土曜日の夜は、楽しみにしてた「くじら(正確には、ひとりくじら)」のライブを見に唐人町へ。 もう一年くらいになるのかな? HPで知り合ったQさんも、急遽来てくれることになって、初めてお目にかかる。 Qさん、やっぱり人なつこくて(年上の方にこの表現は失礼かしら?)、お話がとても上手で、しっかりした大人の女性だった。 不思議だなあ、と思う。これは、夏にユミさんとお茶したときも感じたことだけれど。 Qさんも私も、お互いの日記を読んでて、その人となり、を知ってるわけだよね。だから初対面ってのとはだいぶ違って、実際にお話をするのは初めてだけれど、もういろんな話ができる。 仕事を通して、あるいはプライベートだって、初めてお会いした方で、社会経験も私よりずっと豊富な大人の人と、あんなに親しくいろんなお話ができるってことはなかなかないと思うんだ。もちろん、Qさんが年の差とか気にせず本当に親しくお話してくれるようなステキな方だから、なんだけど。 とても嬉しかった。すごく頼りになる、年上の友人ができた、っていうか、もう既にできてたんだな、私。と思った。どんどん仲良くさせてもらっちゃお、これからも。と思ったよ。 ライブ会場は、商店街の中の施設、甘棠館show劇場。 着いたらマーブルとひろのぶくんがいて、物販の準備とかしてた。 そう、彼らはこのライブの功労者。 小さいときからもう10年以上もくじらを愛してやまないマーブルが言い出して、10年以上も福岡に来なかったくじらを誘致したのだ。 純粋な情熱、その強さ!! ステージにはアンプもモニターもない。マイクすらない。 時間になって、ひとりくじらの杉林恭雄さんが登場する。 シールドなんてついてないギター1本、肩にかけて、身軽に歌い始める。生の声で。 なんて不思議な人、不思議な曲に不思議な歌詞。 かわいらしいけど大人の人。(だってもう20年もくじらをやってる) 優しいけれど力強い。 語りかけるように歌うけど、時々自分の世界にスッと入っていく。そしてまた、スッと戻ってくる。なに、この存在感? 子供でも喜びそうなシンプルさ、素直さの歌だけれど、すごくねじくれてるものもあって、そのねじれ方が不思議でならない。 私、「ねじれ」といったらビートルズを思い浮かべる。素直なのも、ビートルズを思い浮かべる。確立されて、もう長いこと使われてる黄金のコード進行ってあるでしょう。 くじらは素直でポップだけど、ポップスやロックの常識なんて、「何それ?」って軽々と飛び越えるようなコードだったり、メロディーだったり。 それが最初、無意識の抵抗感の原因だったけど、あるとき、スコーンと抜けたのよ。気持ちよくなった。うわーーーなんだ?てくらい耳が体がなじんだ。それからは早かったね、ハマるの。 この日初めてくじらを聞いたしんちゃんは、「コード、展開しねえ!ってずっと思ってた・・・」と言う。そう、くじらの歌は、たった二つのコードで一曲ができてるのが半分くらいあるんじゃない? 現代人の耳に慣れきった、黄金だけど手垢のついたコードを使わない曲をいっぱいもってる人なのよ。 続いてしんちゃんが言うことには「5弦も小指で押さえとった」「ああいうやり方もあるんだ・・・一拍おくだけで、随分感じが変わるね」「ギターの弾き方はストーンズを思わせたけど、若い頃好きやったとかな?」など。自分ももうすぐ大舞台を控えたしんちゃん、得るものはあったでしょうか。 お客さんは、ほとんどが長い間くじらを大好きな人ばっかり。 杉林さんに合わせて一緒に歌う、そしてつわものは何と、ハモる。杉林さんが生声だからこそできる、ライブの醍醐味だ。 「久しぶりに来たから、何か、聞いておきたい歌があったら言ってくださいよ」 なんて言って、恒例らしいリクエストコーナー。 「ラジオ」 「ハモニカ」 「ヘブン」 「エアアタック」 なんて、次々と客席から声が上がる。 (ね、くじらの歌って、タイトルもすごくシンプルでしょ?!) 杉林さんときたら、「えーと、じゃあ、その中から・・・『アザミ』を」 だって。(アザミは、誰も言ってないーーー!) 先に立って手拍子を誘って、みんながその通りにやると「あれ、逆かな?」なんて。 やさしいうた。 そのあとはリクエスト曲をいくつかやってくれたけど、 「えーと・・・実はリクエストコーナーを終わろうとしてるんですけど・・・」 曲がいっぱいあって(なんせ20年だからねえ)すぐには思い出してやれないのもあるみたい(笑) 私のリクエスト「ジャム」も、マーブルのリクエスト「I LOVE YOU」もやってもらえなかった・・・(^ー^;A 「さっきリハーサルで、ピンでスポット当てたら、月みたいに見えたんだけどやってもらえますか?」 と、照明係に声をかける。 「そう、それです・・・もうちょっと大きく」 まっさらなステージのバックに、ポッカリと満月がのぼる。 新曲の『満月』が始まる。 かなしいうた。 歌の世界には赤いお城、影絵のように男と女が浮かび上がる。それを見下ろす満月。 雨が降り、男と女は濡れた体を横たえる。それを見下ろす満月。 沈むボートの中で、男と女はキスをする。 『眠れ 眠れ よい子たち・・・』 こんなに哀しくて、大人っぽい、官能的な歌なのに、子供の子守唄にもなりそうな。 こんな不思議な世界、知らなかったよ。 シンプルだからこそ、想像がふくらんで、心の、普段は使わない部分が動いていくような感じ、その気持ちよさ。 あっというまの2時間だった。 マーブルが大阪に見に行ったときのこと、「狐につままれたみたいなライブだったよ」と言ってたけど、まさにそのとおり。 狐につままれた・・・というか、くじらのおなかに包み込まれたんだよね。ほんとうに。 最後の歌、『夢見るための花』。すごく聞きたかった歌、イントロからもうすごく美しくて。 「眠りのための鍵 その鍵穴 のぞくライオン ピアノの中の草 埋まる男 遠い稲妻 胸の上で鬼百合を揺らしながら作り出す嵐 体の果てまで 流されてしまえ 夢見るための花 その花束 雨のサバンナ シーツの中の水 泳ぐ女 最後のつま先 膝の上の鬼百合が崩れながら見せてゆく嵐 体の果てまで 流されてしまえ 夜明けのための羽 祈りのための草 戦うための石 眠りのための鍵 その鍵穴」 詩人だなあ。 彼のえがく詩は、原初の世界。会社とか国とかない世界。 「カッパ」とか、「SANSO」って歌があるように、普段は目に見えないものも見えるような世界。 花が咲き、星がまたたき、動物がいて、そして男と女がいる。 やさしい。あたたかい。 だけど、雨は降り、稲妻が光って、嵐が起こる。涙もある。 そんな哀しさを描いている。 世界は美しく、それでも、存在すること、ただそれだけで生まれる哀しみがある。 そういう世界。 美しいから悲しいのか、悲しいから美しいのか。 簡単な言葉で、メロディーで、ときに飛躍して、子供みたいな気持ちにさせる。空を見上げて、雨の音を聞いて、それだけで楽しかった不思議だったころの気持ちに。そう考えると、子供って、哲学者だなあ。 杉林さんはすごいなあ。 すごい人をまた知った、私は幸せ。 そのあともアンコールが何曲もあって、惜しまれながらライブは終わった。一曲一曲、すごい拍手で。 うーん不思議な夜だった・・・。こういう気持ちになることってないよね、大人になって生活してて。 帰り、箱崎にて、しんちゃんとちゃんこ鍋を食べました。 最後の雑炊はガマン(←節約。現実はこれです。大丈夫、夢はある程度おなかを膨らませてくれます。あくまで、ある程度だけど・・・) |
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