moonshine  エミ




2002年07月19日(金)  『くちばしにチェリー』 からだでわかるEGO-WRAPPIN'

 歌を聴いたときに、「ああ、こんな声をもってたら、そりゃあ歌うしかないな」と思える人が、時々いる。運命みたいに。
 
 さかのぼれば、そういう感覚は吉田美和が最初だったみたい。小学校の頃だったから、メジャーシーンの音楽しか聴かないんだけど、あの、プラスのパワーにみちあふれた!て感じの、伸びのあるボーカルはやっぱり、衝撃だったと思う。

 一年前、EGO-WRAPPIN'の中納良恵のボーカルを初めて聞いたときも、思った。この人ァ、一生、歌わないかんばい。
 歌が好き、とか、伝えたいことがたくさん、とかってレベルじゃなくて、もう歌っちゃう人生が決まっちゃってるんだと思う。あれじゃあ。
 そして、声は基本的に、マイナーの響きを帯びている。

 EGO-WRAPPIN’、たぶんジャズにも詳しい人たちだと思うんだけど、曲のつくりがJ-POPとかみたいな既成概念をぶち壊す勢いで自由でおもしろい。
 音は、ギターやベースだけじゃなくって、サックスみたいに吹く楽器もいろいろ入ってて、生々しい。
 ボーカルは、リズムやメロディーを無視したみたいに崩して歌ったりしつつも、絶対に曲から脱線していかなくて、奔放で強い。
 
『くちばしにチェリー』は、ドラマ「私立探偵 濱マイク」の主題歌になっている。「濱マイク」を見ようと決めた理由の一つに、EGOが主題歌をやるからってのがあったくらいだ。予想を上回る曲! 決して予定調和な曲ではないけど、1回聞いたらすごいインパクトがあって、頭に残る。
 スイング、スイング。
 緊張感が貫く曲。だけど全然かたくるしくない。
 衝動のままに歌ってるようなボーカル。譜にするのは、さぞ難しいだろう。
 
 音を言葉で表現するのには限界があるから、おのずと詞について書くことが多い私の音楽レビューなんだけど、EGO-WRAPPIN'の詞も、すごいです。
 全英詞・・・の曲もけっこうあるけど、英語は概訳はともかく、ニュアンスまではわからないから、おいといて。

 歌に乗る詞っていうのは、ただの詞じゃあいかんよね。
 どんなに詞としてすばらしくても、曲に乗せたときに、耳で感じた効果がないと。
 そういう意味で「渚のシンドバッド」ってすごい歌詞だよね、よく言われるけど。
「いま何時? そうね だいたいね〜」
 ですよ、サビの歌詞が。
 でも、曲に乗ったらえらい弾けるもんね。
 前にも書いたけど、ブルーハーツの「リンダリンダ」だって、
「どぶねずみみたいに美しくなりたい」
 って、曲が始まっていきなりの歌詞がそれで、
 なに? どぶねずみみたいな美しさって? て思うけど、あの声、あの曲、あの歌ぜんぶがあるから、なんとなくわかる気がするよね。
 
 EGOの詞も、「曲が歌がある」ってことが大前提になった詞で、
 心情を描くって感じではなくて、その歌の風景を描写していく感じ。
 メッセージを直接伝えてくれはしない。だから歌詞カードを見ても、「?」て感じがする。ん? どういう歌? みたいな。
 曲に乗って歌いだされてこそわかる(気がする)歌詞だ。
 
『くちばしにチェリー』の歌詞も、見れば見るほど、歌えば歌うほど面白いんだけど、特に注目しちゃうとこは、終わりのあたり、
「くちばしに チェッチェリー」
 ていうところ。歌詞カードには普通に「チェリー」て書いてあるんだけど、たしかに「チェ チェリー」と言ってます。
 そこがなんというか、気持ち悪さが何度もやると気持ちよくなっちゃうような、言葉にしがたい快感で。耳がその部分を待ってしまいます。

 で、その直後くらい、
「後光射す明日へGO 後光射す明日へGO」
 て2回言うんだよね。これ、字面だけ見たら普通なんだけど、
「ゴコーサスアスエゴー ゴコーサスアスエゴー」
 この韻の踏み方はすごいと思った。聞いたら絶対!気持ちいいです。
 そしてそのあとの、「着地 着地」のとこも、ちょっと間が抜けててかわいくて好き。
 こんな日本語の感覚、どうやって身についたのかなァ。

 声で、メロディーで、アレンジで、詞で、音楽の全部の要素で楽しむEGO-WRAPPIN'。こんなに長々と書いてるけど、聞いたら、感想の言葉なんて必要ないくらい、体で分かるはず。
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