| moonshine エミ |
| 2002年01月02日(水) HP改装しました/「カンゾー先生」 人間なんて | ||||
| HP改装しました。 ちょっと気になってるのは、 ・トップの壁紙の色 ・字体(UIゴシックていうらしい) が、ちゃんと出てるのか? ということとと、サイズ2の文字は見づらくないか?ということ。 自分のIEのみの動作確認ですので、お気づきの点、どうぞ教えてください。 で、ゆうべから二作、レンタルビデオを見た。 『長崎ぶらぶら節』 うーん。こういうのって、むげに「良くない」って言いにくい雰囲気をもってる映画やね。 丁寧につくってあるなあ、という印象。絵、うつくしい。 でも、どうにも感情移入できなかった、私には。 渡哲也がイマイチかっこよく描かれてないし。愛八が生涯思った男、ていう説得力が・・・あったのか? 私にはわからない。 街の芸者と山の芸者との、対立の様子のえがきかたも、中途半端だったと思う。高島礼子にカタキ役としての気概がない。 一番「そんなぁ」て思ったのは、肝心のぶらぶら節を思い出すシーン。あんなもん? 抑制の美学、て感じでもなく、あっけなかった。 そんな中、南の島からきた迷い蝶のシーンは、胸に迫るものがあった。 「故郷にはもう帰れないんだよ」てセリフ。泣けた。 『カンゾー先生』 好きでした。 どうも、きれいなものより、あけすけなものが好きなんでしょうか。私って。いや、羞恥心のあるものが好きなのよ。きっと。“含羞”は私がもっとも好きな言葉の一つだ。 人間なんてみんないびつだ。肝臓炎とばかり診断する町医者も、モルヒネ中毒の外科医も、生臭坊主もスケベ軍人も横領役人も、淫売少女も。そこらへんの国民も。みんな弱い。そういうものを描かなければ、真の感動を与えるべくもない。 知らず知らず囚われていた名誉欲から狂気の道に走りかけたカンゾー先生が解放される、ていう筋は原作と違ってちょっと安易にも思われたが、坂口安吾を慕う人にもこの映画なら共感できるだろう。 敗戦直後の、精神的に荒廃し混乱し、自信喪失した日本人に、 「人間が変わったのではない。人間は元来そういうものであり、変わったのは世相の上皮だけのことだ」 敢然とそう言い切った坂口安吾の『堕落論』の一節を思い出した。 |
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