�蠧�記
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子供の頃、今は亡き実家の父が、最寄りの駅ビルの最上階レストラン街にあった日本人がイメージするロシア料理、ピロシキとボルシチとジャム入り紅茶の店に、私を連れていってくれたことがあって、それが私にとって初めてのロシアのイメージだった。 日本海側に住んだ時に思ったが、ロシアは隣国なのだ。しかし太平洋側に住んでいると、さほど近くは感じられなかった。ご近所にロシア人の息吹はあまりなかった。 しかし高校の時に知り合った友人が私に国際交流の会が主催するソ連の人たちの日本旅行のパーティに誘ってくれたのがコミュ症的私に一定の印象を残した。 思うに私の父と彼女のお父様には何かしらの共通点があった。そしてその旅行団体のソ連の人々も、私たちの父親と多少似ていたかもしれない。 その次にというか、おそらく私が八つくらいの頃に、長兄の部屋にロシア語講座の一式があったのを見かけた。 ピロシキとボルシチのお店に行ったのはそれよりあとか先かわからない。かなり幼かったと思う。小学生かな。 父は大陸の中国や東欧の人に部屋を貸したことがあった。東欧が民主化し始めた頃だ。
だいぶ時代が下って、今の私の夫や息子と、まだ東京大田区に住んでいた頃、夫は子供と私を上野の博物館じゃないか?文化会館?上野だった気がする、ロシアに関する展示会に連れて行ってくれたことがあった。その時に私は、ソ連というより、まだロシアが帝政だった頃からの日本との交流の歴史について知ったかもしれない。そうだったのか、という感想があった。近くて遠い国との。
新潟市内の総合病院の休憩室の本棚には、江戸時代に北の海で遭難した日本の漁師たちを救助したロシア帝国軍人の手記、ではなくて、漁師たちに関する本があったと思う。 女帝エカテリナ二世に会った日本人漁師。
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