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私が四つの時に脳血栓で倒れて話ができなくなった父方の祖母と、もっと話をしたかったなあと思う。 今さら変えようのないことを悔やむのは後向きと言われるかもしれないけれど、では、 人はなぜもう亡くなってからだいぶ経つ歴史上の人物について調べたり考えたり親しみを感じたり再評価したりするのか。そうすることに意味があるからだろう。
師範学校を出て教師になるって、出世払いで頑張ったおばあちゃんは、努力次第で未来を切り開いていけたひとだったのではないかと思う。明治大正の時代、母方の祖母も ハイカラさん、女学生の制服とブーツでスキーをしたりしたんじゃない。 戦前の日本でも、地方の山奥の女性でも、やる気があれば道は開けたのだ。 母や従姉妹姉妹の介護で、病床の祖母しか見ていないのだが、もし私が両親の最初の子供だったら、生前の祖父の言葉を聞けたり、祖母のおしゃべりが聞けたんじゃないかな、今のようにもっとリハビリなどの医学が進んでいれば、話ができなくても、パソコンで意思疎通もできたのではないか。 きっと奨学金で進学した祖母には、女性でも貧しいものにも努力次第でみちが開けるべきだという理想や、あの、フェミニスムもしっかり心に生きていただろう。
認知症や介護はあまりに大変だったので、私が子供の頃は教職課程を取って教師になりたいとは思えなかった。むしろ先生にだけはなりたくないという気持ちの方が勝っていたが、しかし、祖母の涙や怒りの記憶から、あの人の人生に親しみを感じている。 私の人生とはかなり違う優等生の道だったのだろうけど、それでも老いは訪れた。 彼女やお祖父さんが元気だった頃、最初に生まれた人たちにとってはただ自分に良い子で前向きに頑張ることを期待する煙たい存在だったのだろうか? 体がいうことをきかなくなつてからも色々な想いに苛まれただろう。 おばあちゃんの愚痴を私がもっと聞きたかったな。子供の頃の思い出とか聞きたかったな。 まあ、私と祖母とはだいぶ違う。 息子曰く、時代が違うよ、ということは言うまでもないが、だいたい祖母は若い頃から バリバリのキャリアウーマンで、子供がいようと産もうとヘルパーさんを頼んで仕事を続けたのだから、私と勢いが違う。 彼女は母のように次女タイプだったのかな? 私は自分の回復を待つことにしました。 自分は本当に何を必要としているのか。 ナマケモノは侮れない、あんなにぼーっとのんびりしているようでいて、ちゃんと子供ができてしまうようなこともしているに違いないところがすごいなあと思う。絶滅しないで存続している。だから人も焦る必要はないんじゃないか。
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