�蠧�記
DiaryINDEX|past|will
| 2016年02月25日(木) |
私の2015年1月28日 |
25th friday
さて、このサイトの私の過去の日記を見直してみたら、私にとって大事な出来事について全く記述がなかったことに気がついたので、シンデレラタイムを過ぎましたが、昨年の1月28日に息子が車を運転して娘の住んでいる地方へ連れていってくれたことについて記録しておきたいと思います。
2015年1月26日か27日の日に、突然息子が彼のたった一人の血の繋がった姉の通った学校を見学してみたいと言ってくれました。 忙しかったけれど、少し時間ができた、ということで。
今三十歳になる娘に私は彼女が三歳半の時に別れるとも思わずまた帰ってくるからと言って嫁ぎ先から車で迎えに来た父と共に実家の父親の赴任先に行って、それからその嫁ぎ先には帰れなくなっていたのです。
結婚した時は、実家はもはや帰るところではないと思い、実家の母が甥が勤めていた病院で全身癌で亡くなる頃も、その嫁ぎ先に帰りたいと言っていました。
その昔、というか、嫁が何かあった時、実家に帰らせて頂きます、と言って帰った、という話があったと思います。それなのになぜ私は初産の時に実家に戻って産まなかったのか。私は娘の父親の元から離れたくなかったのです。
私の母の実家にはその頃祖母がいたので、母は結構近場に実家があって、母は結構実家の家族と行き来があった。
私の最初の嫁ぎ先は、確かに私の知らない世界だった。 娘の父親は 私の次兄の学生時代の友人で私が中学の時に兄の部屋に他のお友達と共に遊びに来ていた頃のことを覚えていますが、だからといってその背景をさして知っていたわけではない。
しかし嫌いな人柄ではなかった。今でも好きなのだ。しかし配偶者として彼が求めるものにはなれなかった。
私はしかし、あまり友達に本当の自分は出せないたちだったというか、置かれたところで生かされているのが精一杯です。
兄たちが結婚したからといって私が嫁に行く必要はなかったのではないかと思うことがあります。 嫂の両親が親と同居でないと結婚は承諾できないからということで同居していましたが、私はもっとゆっくり両親に守られて私だけの家に安堵していられる空間が欲しかった。 生き物は、安心できる巣を営みたいものであります。 栗鼠でも鳥でも蝙蝠でも狼でも、どこか安全な穴倉に見つけた餌を持ち帰って安心して食事をしたいものであります。
さて、十歳の時に兄が結婚して私は小姑の立場になったわけですが、私にできることは、自分の部屋で自分の世界に没頭することでした。実家には家族以外の人が沢山出入りしていましたから。みそっかすの私はただ周囲を眺めて、穴倉でこの世界でどうしたらいいのか見当もつかずにおりました。
みんな模索している。
明日を思い煩っても仕方がない、今日1日の苦労で沢山だ。その通りであります。
次兄の結婚式の前の晩に、まだ独身だった娘の父親がいて、彼が家庭教師をしていた少年が両親の兄弟に刃物を持って追いかけられたという話をしました。驚くばかりでありました。 私の次兄と彼は民法の学友でした。
私の長兄は高校生の頃登校しなくなった時期がありました。安田講堂が荒れていた頃です。 ああ、昨年の1月に娘に久し振りに会えた、息子が生まれてから一度も会ったことがなかった姉と弟が生まれて初めて対面した日のことを書き残しておきたいと思って書き始めたのに、全然なかなかそこにたどり着かない。
娘が三歳半の時、私がとんでもないことになって、娘の家族が処遇に困って私の実家の父を呼んだ。そして実家の父の元に私だけ帰されることになった。
その時は車の鍵を忘れて嫁ぎ先の茶の間の鍵掛けに取りに戻り、姑だった人に私らしくていい、と言われた、その私の元姑だった人は昨年歳女でしたから、今彼女は八十何歳でしょうか?彼女はあの時私の父に、彼女の孫娘を責任を持って預かります、と言われたのでした。
今日はまた一面の雪景色です。
八十五歳。あのおかあさんも、時折転んだりされることがありますが、元々は慎重な方です。まだ大丈夫だと思うんだけdona
okaasan,
naze watashiwo undano? kannshadekinai
|