連載小説
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2014年04月24日(木) 失敗というもの

なんかもう…表の掲示板には書けないから、ここでひっそり吐きますが。
(本来の使い方からしたら、邪道だけど)
韓国の、フェリー転覆事件。
あまりにも、酷い。
私、正直言っちゃうと韓国は積極的に嫌いですが。
まだ10代の子供が大量に亡くなるという事実は(しかもいい大人が真っ先に避難)あまりにも悲惨すぎて言葉も出ない。

これ自体に関してくだくだ書くのは、もうどうにもならないのでやめますが。
この事件が、どうにも悲惨すぎるのは、人災であるという1点だと思う辺りを書く。

幾つもの失敗に次ぐ失敗。
しかも、それを誤魔化したり取り繕うとしたり、誰かのせいにしたり。
そういった行動が見苦しいのは確かだが。
見苦しい、より、もっとヤバイ事実が、この様子からは感じられる。

それは…失敗を隠したり、取り繕ったり、無かったものとしたり、誰かのせいにしたりしているウチは、再び同じザマになるであろう。
という怖い未来図だ。
特に、誰かに責任を押しつけて非難して、自分の外に失敗放り出してしまう行為は本気で恐ろしい。

何かを非難したり責め立てることは簡単だ。
一番簡単なのは、現状のマズイ事態に、ただ「反対」「非難」すること。
今が大変なので、反対&非難すれば、それだけでいいことをした気分になる。
しかし実体は…文句をつけることは何かを成し遂げたことにはならないと言うことだ。

非難や反対をしただけで、何かを成し遂げたつもりになってはならない。
君は実際には何もしていないのだ。

これは昔から多くの人によって言われてきている。
失敗は失敗で、仕方が無い。
仕方がないで済むことでは無いかもしれないが、それでも起きてしまったことは、もう取り返せない。
取り返せないことを前提にして、それでも現状の最善を尽くして行動し、なお且つ未来に対して「失敗」を自分の中に取り込んで、次はどうするべきかじっくり検討する。
これが理想だろう。

もっとも理想がパーフェクトに成されることなど無い。
そんなに上手くいくなら苦労は無いわけで。
だから「理想」って言うんだけど。

ここで重要なのは「失敗」の取り扱い方である。
失敗をどのように扱うか。
ここで明暗が分かれる。

長い間続きが書けていないので、ここで絡めて出すのも恥ずかしいけど。
「正義の味方」では、失敗が大きなテーマの1つになっている。
たとえば、冬馬は「失敗」などしたことが無い、と思う人種。
「炎の記憶」にて冬馬自身が、自分は失敗したことが無い、と思っているシーンを書いた。
自信満々なように見えて、この男の危うい部分を書いたつもりだ。
失敗を知らない人間は恐ろしい。
対処の仕方を知らないからだ。

もっとも彼の周りには色々な人間が彼を手助けしているので、ぼろが出るまでには長い時間がかかるかもしれない。
それでも自分の失敗を知らずに過ごし、自分から遠ざけているうちは、足下のほころびに気がつかないまま転落していくのと同じだろう。

一方黒羽は、失敗にこだわりすぎる人間だ。
これは大変明確に書いているので、読めば凄く伝わってくると思っているのだが。
とにかく「あの時はこんな失敗をした」「この時はこんな風に失敗した」と
とにかくウザッと思ってしまうくらい、過去の失敗にこだわっている。

2人は一見、正反対のように見えるが、失敗から学んでいないという1点において、同レベルである。

最初に書いたとおり、残念ながら過去は取り戻せない。
過去をいくら捏ねくり回しても、起こってしまった失敗を無くすことは出来ない。
その無駄な行為を、何度も何度もやっているのが黒羽だ。

「失敗」を自分の外に捨ててしまう行為と、「失敗した事実」を自分を責める行為にしか使わない人間。

どちらにも、良くない未来図しか待っていない。
そこに香澄が放り込まれて、果して彼がどんな風に未来を変えていくのか。
実は、その辺りを書きたい私です。
(で、――いつ書くのだ、私(^_^;)


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