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1976年12月10日(金) a

光玉の真実 Follow: 656 / No: 651 [返信][削除]

投稿者:しろ 02/08/08 Thu 02:22:32
547 :名無しさん@1周年 :02/08/08 00:42
私は救世教関係の者ですが、岡田光玉氏の救世教時代
について私が直接、間接的に関係者から聞いて知った
ことをここでまとめてお伝えしておきたいと思います。

岡田光玉氏が性的な問題を起こして救世教を破門された
という事に関して、これはおおよそ正しく、一部誤解が
あるようです。

世界救世教の浄霊では、始めは治療的に触診などを
していたのですが、昭和25年頃から体に手を触れない
ことが原則の浄霊に変わりました
(昭和25年12月27日 「浄霊法変わる」)

ところが岡田光玉氏は、手を触れない浄霊法の時代になっ
た昭和二十八年のある日の浄霊中に、意図してか誤っ
てか、相手の女性の体に触ってしまったということがあった
らしく、女性が悲鳴をあげ、布教所が騒然となったそうです。この
トラブルと、それまでの浄霊中の霊的現象に非常に興味を
持っていたことをあわせ、岡田氏はこの時点で、専従布教者を
解雇された、すなわちクビになったということらしいの
です。破門をされたのではなく、解雇されたのです。

だが、単に教団からの雇用を解かれただけで信者をやめ
させられたわけではないので、岡田氏は
しばらく一般信者として参拝などを続けていたようです。
というのは、教祖が亡くなったのが昭和30年で、その後
二代教主様が就任されましたが、昭和32年頃まで、岡田光玉氏が
聖地参拝に来て二代様のご講話を聞いていたという目撃証言が
あるからです。

私は真光の教義を詳しく知っているわけではありませんが、
時々掲示板に掲載される用語などを見ると、教祖の影響とは
別に、救世教二代教主様の影響があることもうかがえます。

岡田氏は、霊がかりに興味を持ったことと、そして
女性の体に触ってしまったことで解雇されたことから、
霊と自由に話をすることが出来、相手の体を触れる
ことが出来る真光をおこしたのでしょう。

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548 :名無しさん@1周年 :02/08/08 00:59
547の追記です。

>浄霊中に、意図してか誤ってか、相手の女性の体に
>触ってしまったということがあったらしく、女性が悲鳴をあげ、
>布教所が騒然となったそうです。

世界救世教には、腎臓部分や肩、首などを触られても
悲鳴を上げるような文化があるわけではありません。
これは当然、女性が悲鳴を上げるような場所を
光玉氏が触ったという意味です。

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光玉の真実2 No: 654 [返信][削除]

投稿者:しろ2 02/08/08 Thu 03:05:45
失われた過去ログのコピペです。
光玉に関することが書いてあります。
何をいってるのか、ちょっとわからないところもありますが、
光玉が幾度か裁判沙汰を起こしたことなどが述べられています。

−−−−−−ここから−−−−−−−−

【タイトル】心霊医学会 No: 1180
【 名前 】仲村 光
【 日付 】2001/11/09 18:27:33

岡田光玉は昭和三十三年結成された岡田道一の主宰していた「心霊医学会」の理事を務めていた。

 岡田道一の著書、「霊癒の科学」には賛同者として岡田聖玉の名が掲載されている。

金井南龍主宰、神理研究会「さすら」
その一
金井 石田先生ネ、、、、岡田○○ね、、、話が横に飛んで済まないのですが、何千から何万という具合に信者が増え出すと、、、信者が二ケタか三ケタ位のとき、酒席で一緒に軍歌など歌ったときには、嘗っての軍人のときのスナヲさを裸になってサラケ出しましてネ、、、コイツ、、、好いとこあるわい、、、なんて思ってたんですか、、、いつしか「生き神様」の「積分人間」になって了うと、無学文盲ならソレで押し通せますが、彼は高級将校で理性のカケラがあったでせう、、、それで、、、絶対自己の矛盾撞着を感じていたんですネ。 その統一の場とは死でしたよ、、、

石田 馬鹿と気狂い、、、は長生きすることに、、、

その二
世の中宗教裁判位六ヶ敷しいものはない。 ということを奥弁護士は其の体験からして云われている。 氏の懐旧談は中々蘊蓄に富んで居るのである。
二木博士(岡田道一の間違い)創設の心霊医学会に奥さんと家内(金井)さんは好く理事としてその名の如く隣り合って座ってたものである。

「彼、わしの顔は、人間であるならば、マトモに見られたものでないのに、、、」「狐霊(どうぶつ)だからシャーシャーしてますよ」

これは岡田光玉理事のことについての二人の囁きである。 物価統制時での岡田氏の違反や、彼の女性関係での破廉恥行為に対する数度の裁判沙汰のとき、奥弁護士は岡田の弁護を、両人とも熱海の救世教での顧問弁護士と支部長、知己(チカヅキ)以来、岡田氏の裏切り独立営業での度重なる裁判沙汰で、引き受け、岡田の戸籍を汚させなかった。
(原文、漢字の誤りの他、そのまま)

−−−−−−−終わり−−−−−−

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茂吉もろくなもんじゃない。 No: 657 [返信][削除]

投稿者:しろ2 02/08/08 Thu 04:38:49
【タイトル】「暴かれた真光」「崩壊しつつある真光の基礎」補足資料「中島氏の悶死」 No: 4247
【 名前 】ジャイアント馬場清晴
【 日付 】2002/04/25 20:58:13

「暴かれた真光」のうち3.Mahikari's Crumbling Foundationsに関する事項。
岡田光玉がいた救世教の天国会の会長、中島氏及びこのときの世界救世教の置かれていた概況について。

8/12,9/12「崩壊しつつある真光の基礎」
「資料:世界救世教の文献;岡田仲道(光玉)氏に関する記述が見られる。

私は天国会移籍後、西荻窪の支部で助手をしておりましたが、そこに岡田仲道氏が支部長として赴任してきました。四十八歳の岡田氏は(略)私は遂に意を決して中島先生に指導を求めました。先生は「岡田にやらしておきなさい」(以下略)」

*先ずこれは岡田48歳というなら、昭和24年頃の天国会。

9/12「中島先生:天国会の会長。岡田茂吉氏が大本教在籍当時から茂吉氏の弟子として仕えた。中島氏は大本教時代より霊的事象に関心が強く、それに光玉氏も強く影響を受けているようである。」

「崩壊しつつある真光の基礎」には、岡田光玉の天国会在籍当時の集合写真や、軍人時代と随分顔が変わったなと思える変遷の写真、またグリーンウッド氏が富田秘書課長より送られた質問の回答も出ており、発掘的な資料集といえる。

では、この昭和24・25年は、世界救世教はどんな状況に置かれていたか?
先ず世界救世教とは呼ばれていない。観音教といっていた。
そして脱税事件で「第二の璽光尊」として当局の追及を受けていた時期である。
光玉は、そういうさなかに天国会に在籍していた。

以下は「真相」1949(昭和24年)3月号「右翼につながる観音教の仮面を剥ぐ」。
「真相」1950(昭和25年)1月号「特集日本の黒幕、観音教の黒幕
”お光さま”をトリコにした男」から、岡田光玉のいた観音教の記事を紹介。

なぜ、紹介するかといえば、岡田甲子の出自について、
「暴かれた真光」では「井上ファミリーの出」となっているが、
観音教のファミリーといえる中で井上姓は井上茂登吉が先ず該当するが、
このような大幹部の血縁者が、はっきりせずに光玉の妾というのが、果たして
有り得るだろうか?という疑問を投げかける材料としたい。

さて、1949・3月号の書き出しは、
「あら稼ぎするおひかり様」と小見出し。

「昨年(1848年)12月はじめ頃『脱税と政治献金』の疑いで
 大蔵省査察部と法務庁特別審査局が観音教追求の活動を開始して以来、
 都下の各新聞は一斉に日本観音教の教祖岡田茂吉の正体について書き立てた。」

*「真相」には当時「第二の璽光尊」と騒がれた観音教の岡田茂吉の療法は、
「茂吉が大本教へ行く前に」鈴木美山という心霊学者が、
大正末期「健全哲学の学会」を開いたころ入門して習った「哲理療法」が芽をふい
た療法であると調べている。

「真相」

「大本教が邪教として当局の弾圧を受けた時、岡田茂吉はいち早く転業して、昭和10年半蔵門近くに日本観音会を設立。岡田仁斎となのる。
哲理療法では患部には手を体にふれずに病気を治すというのが
「医師類似行為取締法」に引っかかって禁止。
それなら指先でも触れればよいだろうとばかりに指圧療法をはじめた。
しこたま蓄財し、昭和19年熱海市東山1712に、
山下汽船の社長・山下亀三郎がもっていた別荘を70万円で買取。ここを本拠に
全国的布教網を拡大。
ついで同年、箱根山強羅1500の藤山雷太の別荘を買って神山荘と名づけ、
詣でる善男善女をスッ裸にして療法を行うのでハダカ・ショウの異名をはせた。」

「この商売はすごくもうかるとみえて、しだいに当局の注目するところとなった。
何しろ表面は指圧療法なので当時の特高が得意のスパイをもぐらせても、
用意周到な岡田はついに引っかからず、邪教として検挙しようと力んだ特高に
一泡ふかせたものだ。」

「そこで運よく終戦となり、世はあげて民主自由のはきちがえ、その上特高警察
解体ともなれば、天下晴れて岡田は思う存分に無知な愚者の弱味につけ込み、
こんどは「日本浄化療法」と銘打って宣伝これつとめた。
岡田の説くところによると、日本浄化療法はフランス起源の磁気療法(?)と
同じだそうで、熟練の結果人身にある磁気を強力に集中して手から患部に放射する。
これによって人体内の毒素を溶かして目やに、鼻汁、痰、または小便となし、
体外に出してしまうというのだが、霊験あらたかな「おひかり様」の療法を受けて
可愛い女房と子供をムザムザ殺した男もあるから、
インチキ宗教といわれても仕方あるまい。
前熱海駅長三尋木某もその一人であるが、
それでもまだ熱烈な信者で他人に療法をすすめてまわっているから、
良識のある人間には理解ができそうにもない」1949・3



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