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光玉最後の御神示
宗教法学会第5号には、光玉の最期のご神示が写真とともに活字化されて出ている。ご神示とは光玉氏の場合こういうものかと、よくわかる。よくわかるというのは、やはり所詮は書いたご本人しか真意は説明できないだろうなという暗号のような、メモのような体裁の文章だ。長文が掲載されているが、その一部を書き出すと、
「幸子に『あす11時だよ』と 13日夜 神起こし賜う 神前へこい 13日午前2時急ぎ着がえて神前へ しばらくくちゃくちゃ」
このような文章がずっと続きます。ご神示も霊動も、真光の主要アイテムですが、神示は書いたご本人、霊動なればそれを我が身に起こしたご本人がその時どういう感触と感情をもったかも大事なことだと思います。もし真光の霊動にしても、本人を安心させる後味だったら、元信者さんたちが霊動とは何ぞやと、気持ちにひっかからないと言えますまいか。後味がひっかかるから、宗教渡り鳥といわれていますが、他の似たような教団に行ったりするのではないか?後味がひっかかるから、外国信者の方もそうですが
ヨガや気功で真光の霊動と似たようなことはないか。調べなければ落ち着かなくなる。霊動について何か調べてみないと落ち着かない感じを多くの人に与えてきた側面がある。解明には、いろいろな説があると思うが、もし、霊動現象がさわやかで良い印象を与えるものだけであれば、人はそれについて調べ回らないと思う。また人前で、意識で制御できずに体が動くことを、セラピーと1対1なら兎も角、大勢に見られることは、人間の本能として、恥ずかしい感じ、屈辱感を抱かせるものではないか。人前で失禁しちゃったような。ある先輩の組み手が、自分の手かざしでそれを後輩に起こしたとする。起こしたほうは、他にさしたるとりえがなくとも、支配欲のようなものが、いくぶん満足するのではないか。
自分はこんな不思議なことも相手に起こすことが出来たと。霊動は起こさせたほうには強い自信となり、起こされたほうには服従心を植え付ける強力なアイテムとなりうるのではないか。起こされたらマケ。のような感じが致しますが。その後の教団内、人間関係にも影響するような。
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