浅間日記

2014年01月08日(水) さらば大瀧詠一

謹賀新年。
とはいえ、松の内ももう過ぎた。

家の中が静かになって、ようやく
昨年末、12月30日に急逝した大滝詠一さんのことを考える。

青春の時期に爽やかな風のように出会い、
それからは当たり前のように自分の周りに存在していた。
彼の創った世界に入って心を遊ばせることが好きだった。

大滝詠一氏の音楽に限らないが、
ずっとあるものだと信じて疑わなかった音楽のほとんどは、
当代限りのかりそめである、という危機感のようなものを、
最近痛いほど感じる。

大滝詠一さんと同時代に音楽を創り上げた細野晴臣さんも、
山下達郎さんも、少し若いが佐野元春さんも、
年齢的にはもうおじいちゃんだ。忌野さんは既に鬼籍に入っている。

自分の好きな音楽だけではない。
うざったく思っていたフォークミュージックも、
自分とはあまり関係ないなあと思うロックも、
庭先に繁茂する夏草のように、
時代が変われば世の中から跡形もなく消えるだろう。

誰も聴かないし、誰も歌わないものになるのだ。



翻って考える。

じゃあ、何百年も続く音楽というのは、一体何なのか。
どんな仕組みが、それを「伝統枠」にするのだろうか。

ふとロンドンオリンピックの開会式を思い出す。

何故あんなロックコンサートみたいな開会式なんだろう、と思っていた。
元日に肉じゃがを食べるようなものだ、と。

あれはきっと、多分、−意識的にせよそうでないにせよ−
放っておけば消えていく英国ロックを、
伝統に昇華させるための儀式だ。

時代の波頭にのった人が存命しているうちに、
誰にでも手に入る当たり前の音楽であるうちに、
百年先を見据えてその作業を周到にやっておくのだ。

現に、ビートルズもエルトンジョンも、
時代を超えたクラシックとして「成長」しつつある。


ああ、やはり「伝統」は英国だ。

伝統を作り出すことが英国の伝統なのだ。

2011年01月08日(土) 他意のない素朴な作業
2010年01月08日(金) 初めに射られる二本目の矢
2009年01月08日(木) 深く根を張って生きる その2
2008年01月08日(火) 自治再考
2005年01月08日(土) 「ダメ」と「よし」の深呼吸


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