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セキララな思考。
安井 文
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2010年09月29日(水)
狂った朝日

『悪人』という作品を堪能した。

きっかけは9月頭に公開された映画版を見たことだった。

とにかくショッキングで深く心に残ってしまったので、その後、原作→メイキングDVD→シナリオ版→映画と違う媒体で、同じ物語をなぞってみた。

映画の鑑賞2回目で私の中では何かが腑に落ちたので、いったん作品に対する興味は落ち着いた。
何回か「悪人」について今考えてることを書いてみようと考えていて、まずは、映画と原作両方を堪能しての今の感想を書いてみる。

当然のことながら、物語の終わりについて言及した表現も出てくる可能性があるので、そのあたりは作品を体験するまで知りたくないという方は素通り願います。



原作はとある方とメールでやり取りしたときにお互いに好きな俳優の話題の中で、教えていただいた作品だった。
興味をそそられる題名だったので、頭の片隅に常にあった。

それが妻夫木聡で映画化されるという話題をインターネットのどこかで読んだので、だったらその映画を見てから原作を読んでも遅くないなと思い、そのまま忘れかけていた。

9月頭に公開になった映画『悪人』を見てから、原作「悪人」(吉田修一著)を読んだ。
その後、なんだか収まらないものがあって、メイキングDVD『妻夫木聡が悪人だった2ヶ月』を見た。
さらに、シナリオ版「悪人」(吉田修一、李相日)を読んで・・・、もう一度映画を見に行った。

あらすじは、ネット検索すればいろいろ出てくるので書かないこととする。

『悪人』という物語を誰かに紹介するとき、どんな感じでするのがいいのだろうというのが目下の私の興味のあるところだ。
もちろん、自分にとっては印象的で折に触れて何度も見たい作品となったので、たくさんの人が見るといいなと思っている。

映画と原作のどちらがいいかという話題をそこかしこで目にするんだけど、もしもまだ原作を読んでいないのなら先に映画を見ることを勧める。
映画版は原作の中で繰り広げられる物語をエピソードや設定に頼らずに充分に再現できていると感じる。
そこで感じたものを原作を読んでより深めるとこの作品を最低2度は楽しめる。

映画を作るにあたって、原作の細かい設定やエピソードが省略されるのは当たり前だし、原作そのままを映像にしたからといって面白くなるわけでもない。
小説ではうまい表現でも映像化すると陳腐になってしまうものがある。
その部分をどうやって映像化するかが肝なのだから"原作どおりじゃない!"と憤るほうがそもそもおかしいと私は思う。

この作品は、鑑賞者の普段の生活によって感想や見方がかなり変わるだろうなと感じた。
もちろんどんな作品だってそういう相違はあるだろうけど、この作品は、まず設定や状況を受け入れられるかどうかで楽しめるかどうか決まると思うのだ。
また、どの登場人物に感情移入したかによっても、物語を体験した後の感情も多種多様になるだろうな。
そういうものを私はいろいろ聴いてみたいなあ。

私は大まかな内容のみを知って劇場に足を運んだ。
設定が設定なので多少身構えていたと思うけど、余計な刷り込みがなかったので感覚的にこの作品世界を楽しめたと思う。

その感覚の中で、主人公である清水祐一(映画では妻夫木聡が演じている)は"もしかしたら、こう考えていたのかもしれない"と思う部分が2ヶ所あって、映画ではそこに言及するシーンやせりふが一切ない。
原作では、その2ヶ所についてはページを割いてあって、そこがなかったら清水祐一という人間の複雑な内面について思いが及ばない可能性がある。
そのくらい重要な2ヶ所で、原作を読んでから映画を見たという人たちの不満部分の筆頭に上がっている。

さらに、そのうちの1ヶ所はやっぱり映画の中にあったほうがよかったんじゃないかなと私も最近まで思っていた。

実はその部分に関しては、シナリオ版に原作とは違うエピソードとして書き加えられていたのだけど、映画版ではエピソードごとカットされているのだ。
そのくらい非常に重要なせりふで、小説では非常に生きているんだけど、おそらくそのせりふを映画の中で清水祐一がつぶやいてしまうと、それまでの物語がすべて陳腐なものに見えてしまう可能性があるなと思う。

正直に言うと、妻夫木聡の最新作なので見に行ったというのが一番の理由なんだけど、堪能し終わった今は、あまりそのことにはこだわりがないことに気が付いた。
彼は主人公で、彼がやってしまった殺人事件が発端ですべての事柄がおきるのだけど、全体を通してみると彼は物語の中に埋没していて、飛び切り目立つという感じではない。

殺された人がいてその人の家族がいる。
殺した人がいてその人の家族がいる。
そういったいろんな人のいろんな気持ちが映画の中では描かれている。

1回目に見たときは、清水祐一が不憫でならなかったのに、2回目に見たときには馬込光代(深津絵里)の中に自分を見たようで若干不快感を感じた。

この作品は、社会派のようであり、極端な状況下での純愛物語のようでもある。
作者も監督もそこのところははっきりと言及してないようなので、見た人、読んだ人が好きなように感じればいいってことなんだろう。
だから、自分の心の状態や興味の範囲によって、この作品にあるときは嫌悪感を感じ、あるときは共鳴したりするんじゃないかな。
少なくとも、私はそうなるような気がしている。

そう考えると、なんだかすごい作品だよなあ。

ぜひ、映画館に足を運んで見てほしい。

以後、気が向いたときに小説について、映画についてなど『悪人』について考えたことを書いていこうと思っています。




「狂った朝日」
WORDS & MUSIC BY 浅井健一、PLAY BY BLANKEY JET CITY