2022年11月04日(金) |
蜂、蝉、蚯蚓、そして我。 |
うちに営巣しているアシナガバチもミツバチも 秋が深まるとめっきり姿を減らす。
そろそろ冬だなと思いつつ、相も変わらず手入れの全くされていない隣家の庭から越境して敷地内に入り込む蔓草を切り落とす作業に勤しむ。
勝手口側の敷石の上に落ちた枯れ葉などを、しゃがんでひとつひとつ拾い上げていると、のそのそと動き歩く1匹の蜂を見つけた。 そこは夏に無数のニホンミツバチが出入りしていた隙間のすぐ側。
なるほど、 リアル鬼城やね。
とは言えだ、 私にはこの冬蜂が哀れには感じない。 役目を終えて生ききったものの最後をなぜ哀れむ理由があろうか。
駐車場周囲の植え込みで草むしりをしていると、その体の半分ほどが何やかやに分解され、すっかり頭と羽だけになっている蝉が枯れ葉の下に居たりする。 植物も土も、その中にうごめいているだろう目視できない無数の何かもすごいなあと思いながら、半分の蝉を土に埋め戻す。
コンクリートやアスファルトだと彼らは土に戻れずゴミとして片付けられる。そのほうが何となく哀れではないかと、コンクリートの上で干からびていた蚯蚓をトングで拾い上げ、手にしていたゴミ袋ではなく植え込みに置いて上から土をかけた。
私の最後は海洋散骨を希望しているけれども、彼らみたいに土に戻るのもいいかなあ、と冬蜂を羨む五十路、じき六十路。←あ、でもやっぱ海がいいわ!灰になってまで壺に閉じ込められて埋められるとか嫌やし!←旦那は土埋派に寝返ったw
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