Dynamite徒然草
Dynamite徒然草

2022年09月17日(土) 今月はハードである。

叔母の通夜葬儀からの、高齢母のメンタルケアがここまで大変だとは思わなかった。

若い頃からとても仲良しだった叔母の葬儀は、認知症気味の高齢母にとっては精神的にとてもハードだったことを、後日思い知る。

親族は「最後のお別れができて本当に良かった」と口々に言ってくれたけれど、その後この葬儀の記憶は時間が経つにつれて次第に混乱していき、自分の近しい他の人が亡くなったと勘違いして毎日のように大泣きしだしたのだ。

こんな状態の高齢者に、事実をいくら言ってきかせても相手は認知症なのだから理解するわけもない。なので「亡くなったのは誰か」を説明するのをやめ「誰も亡くなっていない」と葬儀の記憶を無かったことにするのがベストだと感じ、毎日毎日時間をかけて、彼女の記憶の書き換えをやってみた。

楽しい話を毎日こつこつと上書きし、悲しい記憶を塗り込めていく。
穏やかに丁寧に、繰り返し繰り返し時間をかけて対処することで、ようやくこの現象は無くなった。

でなければいつまでも葬儀の記憶だけが残り続けて、彼女は泣き続けてしまう。

・・・今回母のメンタルケアをしていて痛感した。
認知症気味の高齢者の心に「わざわざ事実をつきつける必要」はない。
事実はこうだとわからせる必要はない。うれしかったことや楽しかった記憶だけを、編み物のように編んではほどき編んではほどきして、笑って穏やかに暮らすのが良い。

葬儀に参列させたのは失敗だったかもしれないと思った。
思ったが、私が対処できたので良かったとも思った。
とは言え母をいたずらに混乱させて申し訳なかったなと思った。
けれども親族はみな喜んでいた。
「最後のお別れができて良かった」と口々に言った。

とかくに人の心は難しく複雑で面倒くさい。

まあ、これも経験値だな。
大変だったがきちんとケアできて本当に良かった。
もう身内や仲良しの訃報を母の耳にいれるのはやめておくことにする。

できれば他者が、ようやく落ち着いた彼女の記憶をほじくり返さないでいて欲しいと心から思うばかりだ。


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書いてる人 : Dynamiteおかん