2022年07月25日(月) |
入らないでといえば入る謎現象。 |
たとえば台風のときに増水する場所へは「行かないで」と言えば「行く」とか 屋根に「のぼらないで」といえば「のぼる」とか
遡れば古来から「見ないで」といえば「見る」とか。
さて、私は浴室の掃除をしたのち最後に塩素系漂白剤をスプレーしてドアを閉めた。 2〜30分放置して洗い流す予定なので、ここで後期高齢夫に大きな声で丁寧に警告した。
「今、塩素系漂白剤を使っているから、30分は風呂場に入らないでね」 「わかった」 「私が漂白剤を洗い流すまでは、あぶないから絶対に風呂場のドアをあけないでね」 「わかったよ」
時は昼食後。 浴室に用がある時間ではない。 安心してその場を離れた。 いや、離れていいのか? 自分の中の自分が警告を発する。 いやまさか。 いやよもや。 いや信用するな。相手は後期高齢者だ。
・・・10分後。
猫のトイレを掃除していると、ガチャと音がした。 まさに後期高齢夫が浴室のドアを開けて入ろうとしている。
だぁぁぁぁぁめぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーー!!!
「靴下をはく前に足を洗おうとおもって・・・」
塩素系漂白剤を散布しているので危険であること、すぐにこれを洗い流すのでしばらく待つことを説明して脱衣所から引っ張り出す。
漂白剤を丁寧に洗い流しながら考えた。 なぜ「しないで」といえば「する」のか。 彼に悪意はないのだ。 だが出かける前でもない、普段なら昼食後のまったりしている時間だというのに、何故わざわざ浴室に入ろうとするのか。 そしてなぜ世の中にはこのような事象が高齢者(また幼児等に)頻繁に発生するのか。
うーーーーむ。
もしかするとこれは、禁を破ろうとしているわけではなく、その前のワード(今日の場合「風呂場」)が強く頭に残ることで、誘因されているのではなかろうか。
私の発した「入らないで」という動きを禁ずる言葉は時間とともに漂白され、「風呂場」という場所をあわらす単純な言葉だけが後期高齢者の記憶に残るといった現象なのだろうか。
でなければ敢えてこの時間に足を洗いに風呂場へ行こうとするわけがない。 私の発した禁止事項が、水の音を聞いてトイレに行きたくなる的現象を誘発したのではなかろうか。
とすれば、 以降は「禁止の声かけ」をすることよりも、物理的にそこへ入れないようにしておく、または入りにくくしておくほうが、よけいな行動を引き起こすことなく、より安全なのではないか?
とまあ、漂白剤を洗い流しながらこんなことを考えた。 次からはそうしよう。
禁止はむしろ危険ということを学んだ。いやあ、後期高齢者半端ねえ。
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