| 2013年11月07日(木) |
りぼんとばあちゃん。 |
息子に頼まれている 「週刊少年ジャンプ」を買い なにげにぱらぱらと読んでいるうちに
回想モードにスイッチ入りました しばしおつきあいの程。
子どもの頃、私には月に一度のお楽しみがありました。 母が小学館の「小学○年生」を発売日に買ってくれるのです
「学習雑誌」の名目でありますから これは無条件に買っていただける 年相応のありがたーい娯楽本でありました
一年生から二年生くらいまでは それで十分だったんですが さすがに三年生にもなると
従姉妹らが買っていた 「りぼん」や「なかよし」のかわいらしさや華やかさにも多少心ひかれるようになり また、ふろくもあちらのほうが可愛らしくて いいな と思うようになってきたわけです
とはいえ そんなことを口にしたってうちの母には たとえ天地がひっくり返っても受け入れてもらえないことは百も招致なので言い出せず 週末には従姉妹の家でマンガを読ませてもらいつつ 彼女らが持つふろくを
かわいいなー と 眺めておりました。
そんな中 やがてこの、谷ゆきこマンガ的に不憫な孫に 哀れみの手をさしのべてくれる救世主ばあちゃんが登場いたします。
隣町に住む母方の祖母と私は気が合い 月一くらいの頻度で、週末に泊まりにいき 土曜の夜の「全日本プロレス」を一緒に見ては 二人してテレビに向かって声援をおくったり敵をやじったり 日曜の朝には二人して スクランブルエッグと魚肉ソーセージ炒めのソースかけ朝御飯を食べながら 決まってチャンネルは「時事放談」 細川隆元に同調したり相づちを打ったり反論したりと 共通の行動を取っていたものでした
祖母もさほど裕福でもなんでもないことは 子供心にもよくよくわかっておりましたので 私が彼女に何かねだるとか甘えるといったことなどすることなく
ただ一緒にテレビをみたり ただおしゃべりしたり 大きなアシダカ軍曹が住み込みでセコムしてくれる離れのお風呂に、ばあちゃんと一緒に入ったり 一緒に近所の商店街に買い物にいって荷物を持ったりと
そんなことをして祖母宅での土日を過ごしておりました。
ある日、一緒に買い物にいったとき 私がこの商店街の一角にある本屋で 先月号や、先々月号の、りぼんのふろくが 店先の段ボール箱に入れられてバラで売られていたのを発見し ひとまとめに括られて百何十円かの値札が貼られているのをみて
これなら一週間ちょっとの小遣いをためれば月遅れででもふろくが買える...と あれこれ考えを巡らしていたところ
ばあちゃんが後ろから 「それはばあちゃんがこうてやろう。ママには内緒ばーい」
え? いいと? でも...
「よかよか、ばあちゃんがこうてやる。ばってんママに怒られるけん、だまっとかんね。持って帰ったら怒られろうが。やけん、ばあちゃんちで遊びんしゃい」
もううれしくてうれしくて そりゃあもううれしくて
はじめて「りぼんのふろく」を手に入れたことがうれしくて
ぜーんぶ出して広げては かわいいなあーと眺めたり なんか、箱とか作ったり
ばあちゃんが好きなのは前からだけど、もっともっと好きになり ばあちゃんちの風呂場の壁の巨大軍曹まで愛おしくなるほどに 好きでたまらなくなったものです
あんまり私が喜んで ふろくを大事にするもんだから そのうちばあちゃんは月遅れのふろくだけではなく 発売月のりぼん本体を隔月ながらも これまたこっそり買ってくれるようになり
私のばあちゃんち通いは頻繁になっていったのでありました
やがて、さすがに4年生の終わり頃にはこの件が母バレし ばあちゃんちに行くのを禁止され
5年生になった頃に母から 今後は「小学○年生」を買わないから お小遣いを月払いであげる というお達しが出て 私はりぼんを自腹で買えるようになったわけですが
・・・ばあちゃんちへはその後も隠れてこそこそ行っておりました。
これ以降 ばあちゃんが私に何か買い与えることはありませんでしたが (バレると私が怒られるのを知っているので) それでも私はこの優しいばあちゃんに何かお返しがしたくて
とはいえ貧しい身分ではありましたが
何かしたくて そうだ 敬老の日ってのがあったと
その日に向けてなけなしの小遣いをチマチマためたり 瓶を拾って店で換金したり わずかな駄賃を目当てに手伝いをしたり
そうしてなんとか貯めたお金で 蓋付きのかわいい湯飲みを買いました
ラッピングもしてもらいました
ばあちゃんちに行って 「敬老の日やけんこれ」といって渡しました
驚いて 喜んで お茶を入れて飲んでくれました
。
私が高校生になる前くらいに ばあちゃんは叔父夫婦と同居することになり 同じ区内の離れた町に引っ越していき
叔父夫婦に子どもも生まれ ばあちゃんは赤ちゃんの世話が楽しそうで 嫁さんとも仲良しで
そして秋になるといつものように 「栗おこわができたけん、とりにこんね」と電話があり 黒い重箱にはいったお赤飯の栗おこわを 家族で食べたものでした。
で 私が18才の夏休み
真夜中に電話が鳴り 叔父さんの家に駆けつけると 奥の隠居部屋で 白衣のお医者さんと、叔父、伯父、その嫁らに囲まれ ばあちゃんが最後の息を必死でしているところで
瞬間 うちの母が玄関から部屋へものすご勢いでかけていき ばあちゃんに取りすがって取り乱し 「おふくろ!!!おふくろ!!!」って 泣き叫んでました
・・・びっくり。
ばあちゃんが死ぬことは 悲しいながらも年功序列なので不思議でないことですが うちの母が取り乱しているうえに叫んでる あの人目気にしいの気取り屋さんのお上品ぶりっ子さんが 「おふくろっ!!!」って泣き叫んで取りすがってる不思議。
自分は娘に「ママ」とか呼ばせといて 自分は「おふくろ」。
あは
ばあちゃん 最後にいいもの見させてくれてありがと。
それからその夜、一晩中 私がばあちゃんの横でお線香とろうそくの番をしてた 離れたくなかったし 明日、私がすることって別にないし
ろうそくの火でまた本読んでた
ばあちゃん起きてまた言いそう 「いつまっでん暗かとこで本読んだらめくらんなるばい」って
可笑しくなった
そうだ りぼんありがとう
ふろく、たのしみやったよ
りぼんのふろくみるたんびに、ばあちゃんに初めて買うてもろうたときのことば思い出すっちゃん
家ん中で死ねてよかったね
明日には広い斎場に連れていかれるらしいけん もう二人で夜すごすの、これで最後やね
またね。
翌朝、なぜか知らないけど大きな虹がかかってて ばあちゃんがもう、極楽浄土におるばーいって合図くれた気がして笑った。
そうそう 火葬終わって叔父さんちに帰ってきて みんながわらわらと形見分けをはじめたとき 叔父さんの嫁がハッと立ち上がって台所に行き 「そうそう、これは○ちゃんに!」 って 食器棚から湯飲みを出してきた
「これ、○ちゃんが子どもの時お義母さんにくれたんやろ? お義母さんその話いつもしてくれてね、大切にしとったとよ。これは絶対に○ちゃんに形見にかえしとこうとおもって。覚えとう? これ」
だって。
覚えとうよ。
本当はもっと値段高い湯飲みのほうがデザインとかよかったけど、高すぎてお金足りなくて、考えて考えてやっと決めたやつやもん。
本当は渡したあとも、何ヶ月か「りぼん」買うの我慢すれば、もっといい湯飲みが買えたっちゃけどって、ずっと後悔しとったっちゃもん。
形見の湯飲みもらって帰った。
そしてそれは、先の福岡西方沖地震のときも割れずに耐えて 今も佐賀の家にある。
割れたら困るから、使わない。
私がばあちゃんになったら、出して使おうかなと思う。
孫が泊まりに来たときにでも。
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