Dynamite徒然草
Dynamite徒然草

2009年06月23日(火) 嚥下障害。

草野信子というかたの
「カレーライス」という詩を偶然、知って
読んで
しばらくたってから私は

どーーーーーーーーーーしようもない違和感を感じて
どーーーーーーーーーーしようもなく

「すごくおいしいよ」とみんなに言われて一口食べたものを
口当たりが良くておいしいかもと飲み込んだあとで

やっぱり私はこれが
みんなが言うほど「すごくおいしい」とは感じない
周囲との違和感に
心の奥底でため息をつくような

一度は飲み込んだはずが
どうも喉にひっかかっているような感じがするような

そんな感覚におちいった

いや
いわんとすることはわかっているのだけれど
だから一度は飲み込んだのだけれど

ぶっつけられた人の「表向きの優しさ」は書いてあるけれど
人前だから許したけれど
許したけれど記憶から消えるわけがない
消えるわけがないことを
このぶっつけた人は
気付いているのだろうかしらんと

許しと消去は違う
トレーナーはひっくりかえせばたしかにシミは見えなくなる
だけどシミはその裏にべったりとついたままのはず
ぶっつけられた人の心の傷は消えるのだろうかしら人前で
カレーライスをぶつけられてみなければ
それは絶対に永遠にわからないものなのに

いったい彼にそんな理不尽なことをした当の彼女は何をわかったのだろうかと

ここ最近
平気で他人に
平気で人前で
平気で何度も
カレーライスをぶつけるような行為をする人が多くいる

そしてこんな行為ができるような人は必ず言う

「その時は仕方がなかった」
「押さえることができなかったの」
「あの人も悪かったのよ」と

そしてそんな行為が平気でできる我良しの人たちというのは
都合良くこの作者のように気付きはしない
気付くわけがない
話し合いにもならない
だから気付くわけがない

そして
何を言っても無駄だと悟った
そう
カレーライスをぶっつけられつづけている多くの人たちは
許し続けなければならない人たちは
口を閉ざして諦める

相手に
会社に
学校に
この国に
全てに

何度読み返しても
違和感だけが残る
みんなの言う

とっても良いよ、が
とっても都合がいいよ、に聞こえてくる私の歪んだ耳。

---------------------------------------------

個人的感覚で思ったままに書いてしまいましたが
私が「嚥下障害」おこしているだけで
他の皆さんはもちろん素直に感動されたり
心動かされたりするのは当然だと思います

私の悪い癖なのです
自分でも改めるべきだよなと最近つくづく感じるこの批評癖というか批判癖

でもってふと感じました
私も見えないカレーライスを誰かにぶつけたことがないだろうかと

居ました

息子です

「叱る」という行為の中に
躾や、教育上ではなくてやはり
私の一時的なストレスや怒りの感情やイライラを
彼に
「叱る」という行為を笠に着てぶつけたりとか
そういうことをしたことがたしかに有るじゃあないか、と


だけど息子は許すのです
けれど記憶や深層心理には残るはずですが

もちろん息子からぶつけられることもあります

だけど私は許すのです


そうだよな
家族ならば
親子ならば
夫婦ならば

話し合って許し合って反省しあって

こうして互いに日々絆を守り強くする


だけど他人ではそうはいかないのが人の心の狭さかな


いや
難しい詩であることよカレーライス。


 過去の日記  目次  次の日記
書いてる人 : Dynamiteおかん
© 2000 Dynamite okan