Dynamite徒然草
Dynamite徒然草

2008年03月12日(水) 恨んだこともありました。

春ですね。
天気の良すぎる佐賀県は梅が満開どころか桜も咲きそうな勢いです。

さて
現在、夫は御両親のお墓を建てる計画の真っ最中。

夫の両親は現在
博多にあるお寺の納骨堂にいらっしゃいます

そのお寺は墓地の空きがなく
場所が場所だけにそうそう土地も確保できず
新たにお墓の建立が不可能ということで
いろいろと探しておりましたところ

とても条件が良く広い場所がみつかったので
現在細かな打ち合わせをしている段階でございます。


ところで
夫のご両親が他界して既に長い月日がたっているのですが
長男である彼は
いつかお墓をと思っていながら
ずっとわだかまりがあって建立できずにいました。


夫の母方は博多の地元なのですが
夫のお父様は生まれた場所こそ戸籍で判明していても
少年期には既に身内も誰も存命者がなく不明で
いわば孤児のような方だったそうです

それで先祖代々の墓がなかったわけですが

だけど仕事熱心でお優しくて寡黙で
それをかわれて結婚の話があり
博多で家族を持つことになったお父様でした。

お父様の人となりは
口の悪い地元の人がひとつも悪口を言うことがないことでよくわかり
また
なにより子供を心から愛しておられたことは
夫の口ぶりからよくわかります

逆にお母様はというと
女系家族で大事に育てられ
金銭的にも何でも困ったことがあると母親頼み
入ったお金は右から左へと使ってはお金がないと愚痴をいい
子どもたちをいつもヒステリックに叱り飛ばしていたといいます

もちろん私が見ていた話ではなく
あくまでも夫の「子供として感じてきた」主観ではありますが


そんなわけで
夫はお父様の話をするときはとても優しく懐かしい顔をしますが
お母様の話をするとはうらみがましく苦々しい顔になるのです

まだ6〜7歳の頃
タオルを銭湯に忘れてしまい
お母様にそれはそれはヒステリックに怒鳴られ
泣きながら取りに戻ったことをいまだに覚えていて恨みに思っているし
もっと幼い頃は
夜中に叱られたときのことを思い出しては
起き出して夢遊病のように外へ出て泣いていたとか

学生時代には試験前に遅くまで勉強をしていると
練炭の火がもったいないので早く寝ろといわれたこと
また
得意だった水泳で特待生の話がきたときも
下に兄弟が多いし働いてもらわないと困るからといって
相談もなしに頭から断られてしまったことも
何もかもが彼には恨みに思うことだらけだったと言います


ですがお父様はというと
子供の頃に怖い夢を見てうなされていたら
抱いて「よしよし・・・」と言い続けてくれたことや
板に大きな釘を打って遊んでいた際、お父様が土間に放置していたその釘をうっかり踏みつけても、自分をひとつも怒ることなく黙って釘を自ら引き抜き布で血止めをして仕事に戻られたこと
具合が悪いときに一番はじめにいつも気が付いてくれていたのがお父様であったことなど

良い思い出だけがたくさんあるのです

夫はいつも言います
「母ちゃんはヒステリックで金勘定ができなくて、愚痴や文句ぱかり言ってて何かあったらすぐ自分の母親に甘えてどうにかしてもらっていたような女だ」

なのでお父様のことは大切に思えても、お母様のことは亡くなられて長いことたちますがちっとも良い思い出がなく、逆に恨みばかりが浄化されないままここまできているといった感じなのでした。

ですが
最近になって夫に変化が現れたのです

自分の息子が大きくなってきて
夫は改めて自分の母のおかれた環境をかえりみたといいます

7人の子供がいて
その子たちを育てながら
昔は洗濯機や電子レンジがあるわけでなく
風呂も煮炊きも火をおこし
洗濯も冷たい水でやっていて
三食食べさせるのに夫の稼ぎだけでは難しく
母親に頼ることもいたしかたなく

母ちゃんも必死だったんだよな、と


笑顔で抱きしめてくれなかった
下に兄弟がいたから母を独占できる時間が短かった
母に甘えた時間などこれっぽっちもなかった

子供だった自分の目の前にいるのは
いつも忙しく、ヒステリックで、文句ばかり言うような母だった


わかってあげられなくて悪かったな
と、夫は60を過ぎてから気づいたと納骨堂で手を合わせました


自分が息子の父となり
育児にかかわることで
また
息子に手をやく私の姿を通して
お母様のあの姿も
少しだけれど「大変だったんだよな」と同情しているような
そんな感情が生まれたようだと言っていました


なので夫は私に働くことを希望しません
自分が母に愛されたかったので
自分が母に甘えたかったので
息子には寂しい思いをさせたくないのだと思います

・・・同じく私もそうですが・・・

そして私が働くことで
自分もまた子供の頃に経験した寂しさを再び味わいたくないのだと思います

息子に少しでもサイズの小さな服や
お古を着せるのも好みません
買ってもらえずみじめだった自分が蘇るからです

よく
子供は親の背中を見て育つ
といいますが
背中を見せることだけでは育たないことを
私も夫も知っています

背を向けられて育った子供は
親の老後に背を向けることでしょう

自分がイライラと忙しくしているのは子供のためだとか
社会が悪いからこんなに自分たちは大変なんだとか
抱きしめる時間なんてないとか
会話する暇がどこにあるんだとか
育てるのにはお金がかかるんだからとか
目をつりあげて理屈をこねる人がいたりしますが


その見返りはきっと
孤独なのではないかと私は思いました


私の夫は18歳で生家を離れたきり
お母様の生前も没後も
距離を置いたまま心も触れ合えないままでした

それから長い時間がすぎて
ようやく
「少しは」気づいてやれた気がすると言い
今になって
お父様とお母様のお墓の建立を決心したのです

それは夫が
大好きだったお父様とだけではなく
お母様とも将来「同じ墓に入る決意をした」ことになります

夫がお墓を建てることにこれまで踏み切れなかった理由は
ひとえに「恨んでいたお母様と同じ墓に入りたくない」という気持ちもあったのだろうと感じています


恨みはだれもが持つことのある感情です

私だって恨みの一つや二つや三つや四つはありました
だけど私の場合は
あり「ました」の過去形です

私の恨みは続かないのです

なぜ続かないのか自分で分析するに
理不尽なことをされつづけて心底相手を恨むことはあっても
その理不尽なことに対して
なぜ自分ばかりと心負けすることがどうしても許せず
心負けすれば本当の負けになるという感情が沸き立ち
心だけは落ちないように
負けないように支えようと己の心と立ち向かううちに
いつしか恨みが失せているといった感じです


過去や恨みを後生大事に引きずっても
過去をいつまでも愚痴っても
先へは進めないので
あとは二つにひとつです

飲み込むか
切り捨てるか


夫は長いことわだかまっていた母への恨みを
何十年の歳月を経てようやく飲み込み
いま父と母のためのお墓の建立に着手しています



長男の嫁は完成が楽しみです。
もちろん遠い将来、私もその墓の住民になるわけですから。

ちなみに私は夫と同じ一つの骨壺に入ります。
ひとつにまとめて入れるよう遺言しておく予定なのです。

甘えん坊の夫ですから、骨壺の中でもきっとひとりでいたくないと思うので...v


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