某突起名の人生つぶやき日記

某突起名の独り言。
あくまで独り言ですので・・・まぁ、お気になさらず。

2004年02月06日(金) 約1年9ヶ月前。











・・・私は自分の命をお金で買った。










『生きる』も『死ぬ』も己の自由意志だと信じて疑わず

人生が詰んできたらさっさと死んでしまえばいいと

ふわふわとその日暮しをしているだけで。



何の責任も負わず何に対しても強い執着が持てず

その割には己の意思とは関係なく自動的に続けられる『生』にだけ

高い確率で継続していけるにも関わらず強い執着を持ち、

同じくらい自分がする行為の重力に耐え切れないで

逃げ場所としての『死』に後ろ髪をひかれ

その狭間で精神の均衡を保てなくなっているのに

"まっとう"なフリだけは日々上達していく当時の自分。










今日、『生きたい』と思っていても

明日、『死にたい』と思うかもしれない。



そんな不確定な未来に保証を求めて悩む事だけは一人前で

実際にどう生きるかという事になど意識を向けすらせず

今までで一番強く『生きたい』と思っているくせに

実際の肉体の生き死にに関わらず『死にたい』と思うのがやめられなくて

死に場所を探し続けてタイヤとガソリンをすり減らすしかしなかった。

しかもそれを「自分の好きな生き方」だと思い込んでいた。










甘ったれた自分にほとほと愛想が尽きていた。



もう少しだけ自分を大事にしたかった。

単なる「人生に対する嫌気」を解消する為だけに

死ぬ事を考えるような逃避的性格から抜け出したかった。
 
甘え続け、逃げ続け、もし自分の人生がああだったらなんて

「たられば」の想像にだけは敏感で、他力本願で、受身で。

そんな自分の事が嫌いで憎くてできれば殺してしまいたくて。

自分を『殺したい』と憎む自分の事もまた嫌いで。










自分で、自分の『生』に責任を持ちたかった。

誰も恨みたくなかったし憎みたくなかった。

責任転嫁もしたくなかったし誰かの助けを待つ事もしたくなかった。

人にネガティブな感情を向けるのに疲れきっていたし

そろそろ自分の力で自分の責任で本当に"まっとう"に生きたかった。



そしてその事を自分で『選択』した。

自分の『生』に対する責任を買って

自分で生きる事を選択したという事実は

私にとって生きる事への強制力になった。



その日から「死にたい」とこぼす事は

『生きる』のが前提としての自己嫌悪もしくは

一時的な絶望の言葉としての効力しか持たなくなり

私が実際に『死ぬ事』に対してアクションを起こす必要はなくなった。







 


『せめて自分のした事に収拾をつけるまでは

 生きなくては。生きる為に考えなくては。』










この考え方もまたおかしなものだったけれど 

私は今までこの事に必死だった。

必死すぎて自分のしている事の矛盾になんか

これっぽっちも気づきはしなかった。

いや、気がついていたのに知らない顔をしていたのかもしれない。



砂上の楼閣。

私が今まで追い求めていた"まっとう"さなんて

傍から見たらそんな感じのモノだっただろう。

礎の「い」の字の欠片もない場所に

せっせと見た目だけ立派そうなお城を築いて

片っ端から崩れていくそれをまたつぎはぎで修復していく不毛な作業。

そのうち跡形もなく崩れ去ってしまってもなんら不思議のない代物。



それも今月限りで終わるかもしれない。










そろそろ真面目に"まっとう"になってみたいと思う。



基礎からコツコツと石を一個ずつ積み上げていくような

そういうやり方をこれから続けていきたいのだ。



その仕事の終わりが一体いつになるのか。

果たして終わりなどというものが存在するのか。

今はまったく分からないけれど。






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