| 2002年09月07日(土) |
Like a Cooking. |
人生を料理に置き換えるなら
人間に「人生」っていう料理を与えるのは
あくまで時間とか、
自然に発生する何かの現象とか
人と人との係わり合いで起こる出来事自体とか
そういう決して直接的には人の意志の関わらない何かで。
そういう意味での料理なんて決して
人の意志で作ったり与えたり出来る代物じゃなくて
自分の作る糧で相手を変えるにはとてもじゃないけど
存在自体に力が足りなくて。
言い換えるなら人間の意志なんてモノ飛び越えた
もっと大きな存在が「与える側」で。
森羅万象なんて言い方は大げさかも知れないけど
そんな感じのモノで。
その存在の一部の中でも人間は無力で矮小で
「享受する側」でしかなくて。
ワクワクしながら次の料理が出てくるのを待ち構えてるだけで
十分人生楽しくて。
そのちっぽけな存在の人間が
「人に何かを与える」っていうのを意識するコト自体
傲慢も甚だしいよなぁと思う今日この頃。
そもそも自分の料理を平らげてもいないのに、
人の料理なんて作れるワケがないんだよね。
けれどコレを書いている時点で私にも
何か訴えたいコトはあるワケで。
それすら思い上がりの極地な行為なのだけれど
自分なんかの意志で人は変えられないのは分かってる。
分かってるのに何故やるかって?
人の人生を変えるようなマネはできないけど
自分で味付けした自分の人生くらい覚えておきたいから。
与えられた料理に自分でひと振りした時の
胡椒の美味さを忘れないように。
未来の私の為にメモっとく。
次に料理が出て来たら、
多分私はそっちで頭が一杯になって忘れてしまうから。
記憶が現在のワクワクに塗りつぶされちゃっても思い出せるように。
これは料理を作るというより
私の消化活動だ。
人生美味しく食べる為のいただき方だ。
塩をひと欠片、胡椒をひと振り。
それは料理なんて呼んだら、
料理に失礼なくらい単純だ。
単純でいい。
単純にしかなれないよ。
私は、「思い上がり」たいと言うより
「想い上がり」たいんだと思う。
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