『自分っていうのは、
常に自分に最大のダメージを与えることが出来る存在ですからね。
他者には言い訳することが出来ますが、
自分に言い訳は通用しませんから。』
ある人に贈った言葉。
今でもそう思っている。
人間なんて、物事自体はすぐ忘れてしまう。
物事なんて所詮時間の流れ。
けれどその物事を自分で解釈した時に
自分で自分に刃を振るった感情の痛みは忘れない。
誰かに何か言われても、
感情を揺り動かすのはその「何か」にじゃなくて
どちらかと言うとその「何か」によって引き出された
自分の「解釈」にだろう。
自分の考えた事は、
自分が外界に張るフィルターを通さずに
ダイレクトに自分に響くから。
ショックの大きさなんて人にコントロールしてもらうモノじゃない。
自分で図らずも大きくしているコトもあるだろうし、
ノーダメージで居るコトも簡単。
私は
自分に傷をつけたくないばかりに衝撃におびえて、
なんでもが「自分を傷つけるモノ」に見えて
条件反射で傷ついてないだろうか。
私は
いつか誰かに自分を壊されるような気がして、
知らぬ間に怯えて毎日を送っていないだろうか。
私は
自分を傷つけないようにする言い訳に疑問を感じていながらも
自分が壊れるのがイヤだからとまた自分の声に耳を塞いで
耳を塞ぐ手を剥がそうとする誰かの声を
自分の金切り声で掻き消すようなマネはしていないだろうか。
私は
そうやって自分を守る為に人に付けた傷を見て、
うずく罪悪感を隠す為に、
また自己弁護を上乗せしたりしてないだろうか。
他人にちょっと爪を立てられたくらいで壊れる自分なら、
いつ壊れないかとビクビクしながら守るプライドなら、
捨ててしまえ。
壊れてしまえ。
そんなモノ。
くだらないよ。
要らないよ。
そんな面倒くさいモノ。
私はバカだから、自分で自分に嘘をつけないよ。
私はナマケモノだから、言い訳を考えるのが面倒くさいよ。
だから私は考えよう。
何かある度に考えよう。
自分で自分のつけた傷を抉ろう。
そこから顔を出した真実を直視できるようになるまで、
何度でも何度でも傷を掘り返そう。
左右上下、あわせて360度の2乗分の現実を見るまで、
何度でも何度でも自分の傷を抉ろう。
その痛みに比べたら、
きっとどんな相手が振るう刃も
自分にとっては優しいモノだろう。
そうして抉った傷から取り出したモノは
きっと一生忘れないだろうから。
嘘も言い訳も難しくて面倒くさいから、
私は嫌われモノでいいし、
私は罪人でいい。
それが当たり前のうちは、
きっと日常の何もかもが自分に優しいし、
世の中は捨てたモノじゃない。
ただただ楽をする為にそんなコトを日々考える。
ただただ自分を楽にする為にそんなコトばかりに労力を使う。
・・・そんな私は究極のエゴイスト。
関係無いけど(オマエの話に脈絡があったためしがあるのか。)
人生は食事とよく似ている・・・と最近になって思う。
過ぎていく時間がご飯。
それを色んな人生経験というオカズで食べて
人間は成長していく。
オカズは色々。
ご飯もその日によって味は違う。
大好物で、何も考えなくたって美味しく食べられる時もあるだろう。
「ちょっとコレは・・。」と思うようなクドい取り合わせもあるだろう。
不味くて苦くて、口に入れるどころか
顔も見たくないようなモノもたまには並ぶだろう。
当然、二度と食べたくないと思ったモノが再び食卓に並ぶコトもあるだろう。
そしてきちんと美味しい美味しいと思いながら
よく噛んで味わって食べたモノは現実の食事と等しくよく消化され、
不味いと思いながらおざなりに飲み込むだけのモノは
やはり現実と等しく消化も吸収もされずに
体の中を通りすぎ、排泄されて忘れ去られてしまうのだろう。
不味い不味いと思いながら食べたモノは、
体の中に取り込まれなくても当たり前。
「不味い」と思い込みながら口に入れたモノは
不味くて当たり前。
不味いのがイヤで食事の度に怖々を口に入れていれば
その食事がつまらなくなるのも、これまた当たり前。
出されたオカズは残さずに、
良く噛んで楽しく食べよう。
・・・別になんでも無理矢理「美味しい」と
思い込みながら食べろって言うんじゃないけれど
やっぱり出された食事は良く噛んで美味しく食べたいモノだと思う。
不味いなら不味いなりに
なんでこんなに不味いのか、咀嚼しながらよく考えたらいい。
そうすればもしかしたら「不味い」のは、
食材が悪いんでも味付けが悪いんでもなくて
自分の「不味い」という思い込みだというコトも無きにしもあらず、
かも知れない。
自分の舌は「不味い」という名の殻が被っていないだろうか。
自分の心は「不味い」に怯えていないだろうか。
「不味い」を人の所為にしてイヤなオカズが出る度に
ろくすっぽ味わいもしないで飲み込んでいないだろうか。
自分の舌を過信しすぎて、斜め上からオカズを見るだけで
箸も付けずに捨ててしまったりしていないだろうか。
そのうち自分の舌の「不味い」を全てとっぱらって、
出てくるメニューの何もかも、
出てくる素材の何もかも、
出てくる味つけの何もかも、
ワクワクしながら口に入れて、
楽しく味わって
良く噛んで
こんな味だったのかと驚いて
隅から隅まで吸収できるような、
そんな食事ができるようになりたいなと思う。
そしてそんな自分が可愛いばっかりの某突起名が
自分の為に自己満足で綴る日々の徒然がこの日記。
自分のコトで精一杯の私は
人の不味いと思うご飯まで美味しいご飯に変える力は
もちろん無い凡人だし、
人の食事まで面倒を見れるバイタリティも無い。
けれどこの日記を毎日読んでくれる人たちが
食し辛いオカズを食べなければいけない時に
某突起名の文章が、
「ちょっと味が薄いな」と思った時の醤油や塩や、
「ちょっと肉がくさいな」と思った時の胡椒などの、
卓上調味料のように、
気休め程度にでも
美味しく食事をする手助けになれば、
一石二鳥。
これ幸い(ちょっと違う。)だと思う。
・・・コレも私のエゴイズム。
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