某突起名の人生つぶやき日記

某突起名の独り言。
あくまで独り言ですので・・・まぁ、お気になさらず。

2002年05月12日(日) 「産むべきではなかった。」(本日、激長仕様につき。)









( ̄□ ̄;)・・・・・・。










昨日は更新準備の作業をしていたつもりが、

いつの間にか寝ていました(爆





気が付くともう朝で、

PC前からそのまま倒れた感じで体が固まってました。





メッセを「取り込み中」にしたままだったので、

話掛けてもらっても音が出ず、

気が付かないでそのまま爆睡していたみたいです。










そうそう・・・

一年ほど前まで付きあっていた彼氏が買ってくれたサンダルを

今日、ようやくおろして履きました。





どうしても欲しくてダダを捏ねて買ってもらった、

スウェードのサボみたいなサンダル。

今の普段着によく合います。

履き心地も上々でした。





・・・でも、実家と2往復するのに使っただけで、

また箱に仕舞ってしまった。

多分、また少し履いてみたりするのだろうけど、

また使った後は乾かして箱に仕舞ってしまうのでしょう。





私にとっての彼との思い出はそういうモノだと思うのです。




















閑話休題(←どっちにしろいつも閑話しか書いてない。)










「産むべきではなかったかも知れない。」





さっき書いた彼氏と、

何故別れてしまったかを

今日あらためて話している時に、

(キッカケは前出のサンダルなんやけどね。)

母親の口から発せられた言葉です。










「産むんじゃなかった」という言葉を

母親の口からイヤと言うほど聞いた覚えは多々あれど、

「産むべきではなかった」という言葉は

今日、生まれて初めて聞きました。





おや、珍しい言葉が出た・・・と、

これまた珍しく彼女の話に耳を傾ける某突起名に、





自分のような責任感薄い人間が、

ただ「妊娠してしまったから」などという理由で

あんな環境で子供を産んで育ててしまうというコトは、

なんと浅はかな行動だったのだろう。





ぽつりぽつりと、そうつぶやく母親に、

何か感慨深いモノを感じました。





同時に、

その言葉を彼女の口から聞く為に

自分が今までどれだけ心を砕いてきたか、

それを思ってなんだか妙に救われた気分になりました。





















こんな話を淡々としている最中でした。























私は子供を産まない。

なぜなら私は自分を知っているから。





子供を産むのなら、

どんな場面でも自分が母親であるコトを忘れてはいけない。

どんなに辛くても子供に愛情を注げる確信がなければいけない。





子供にとっては母親というのは自分しかなくて、

母親にとっては些細な言動でも

子供にとっては一生心の傷になって残るコトもある。

・・・一瞬たりともそれを忘れてはいけない。





でも、私はそれを忘れないコトに関して、

親として、一貫した行動を取れるかというコトに関して、

自分を全く信用していない。





私はあくまで自分主体で、自分の心を優先して、

何にも縛られないで、

フワフワと生きていくしかできない人間だから。

自分しか生かすコトの出来ない、

不甲斐ない人間だから。





精神的に余裕のある今の状態が常に続くのであるなら

自信を持って「忘れない」とも言えよう。

言うだけ、思うだけなら簡単だから。





でも、生きている限り、

こんな状態が常に続くとは限らない。





もしかしたら貴女のように夫と離別し、生活に追われ、

精神的に追い詰まってしまうコトもあるかも知れない。

そんな時に、貴女のようにならない確信は自分には無い。





私は、親と言えば貴女しか見ていないのだから、

無意識の内に貴女の行動をなぞっているコトもあるだろう。





そして貴女が私や姉の心に傷を残してきたように、

私が自分の子供の心に傷を残さないとは限らないのだ。





そして子供の心の傷は、

つけた後で気付いていくら癒そうとしても、

自分が子供とは別個体の生き物である限り

100%把握して癒すコトは難しい。




自分が気が付かない、

もしかしたら本人にでも気が付かない何処かに

傷の名残とも言える

「親に愛されなかった」という不全感が残るコトになる。





そうやって色々考えていくと、

私が子供を産む権利は

私が私として生まれ、私として生き続ける限り

他の人がもし「産んでもいい」と言ってくれたとしても、

私にとっては無いようなモノだ。





それでも自分が産む息子や娘はシアワセにしてやりたい。

100%子供がシアワセとして認識できる形で愛情を注ぎたい。





大きくなってから一緒に暮らしたコトを思い出して

シアワセだったと、

愛されていたと、

ためらい無くそう思って欲しい。





子供は産んでいないけど、

母親としての私は強くそう願う。





でもそんなコトは、

子供と私が脳ミソを共有でもしていない限り

願うコトはできても

100%を叶えるのは不可能なのだ。





だから私は、

あえて現在の自分から、

子供を産む権利を剥奪した。





結果として最愛の彼氏とも、

一年前に別れるコトになってしまったけれど、

これはこれで良かったと思う。





子供が欲しいなら、

子供を産み育てるのに適した女性が、

もっと愛情に満ち溢れた女性が、

他に居るだろうから。





子供を不幸にする性格の持ち主なんて、

きっと母親になる権利云々以前に、

彼の妻としての権利も無いに等しいモノだろうから。




愛しているからこそ、彼の妻にはなれなかった。




























彼女は、いつもなら私の話を適当に聞き流して

途中で他の話や他の用事を持ち出してきて遮ってしまうのです。





でも今日は珍しくフンフンと相槌を打ったり、

話の内容に関して色々聞いてきたりして、

積極的に私の話を聞いていました。





















・・・おそらく彼女は自分という人間を知らなさ過ぎたんでしょう。

そして未来に期待や理想を持ち過ぎたんだと思います。

前向きなつもりが盲目的に未来を信じすぎて、

結果、自分を見失ってしまっていた。





自分の夫の「これから」に期待をし、

自分の娘たちの「これから」を信じすぎ、

自分が子供を愛しきれるかどうか問うコトも無く、

出産し、子供を育て、夫と離婚し、

ひたすらに生活に追われて、

そうして、理想と違う未来が現実として紡ぎ出される度に、

「こんなハズじゃなかった。」

・・・そう思いながら暮らしてきたのでしょう。





何故自分はこんなに頑張っているのに、

思うように行ってくれないんだろう。

何故自分はこんなに愛情を注いでいるのに、

この子たちは思うように育ってくれないのだろう。





その結果、彼女の口から生まれる言葉は、





「産むんじゃなかった。」

「役立たず。」

「産んで育ててやったのに。」

「失敗作。」





しかし、子供は、

親の理想を現実にする為に生まれたワケでは決してありません。

たまたまその親の元に「生まれただけ」なんです。

親の思いを形にする義務など背負って生まれたワケではないのです。





むしろ自分の敷く理想のレールの上を走る

そんな玩具のような子供しか要らないなら、

最初から産むコトを考えてはいけない。





例え子供が自分の理想から外れても

自分は子供を愛していけるという自信・・・

いいえ、「自信」でもまだ不足です。

愛していける確固たる「確信」が無ければ産んではいけないんです。

それがどんなに微々たる理想でも。










だから彼女が嘆く度に私はこんな言葉で答えていました。





「貴女が産まなければ良かっただけの話でしょう?」


「私は、貴女の理想を生きる為に生きているワケじゃない。」


「子供は親の所有物じゃない。」


「私と貴女は、親子というだけで、まったく別の一個体の人間なんだから、

価値観も行き方も違って当然なんだから。」


「貴女は、自分が子供を産むのに向いている人間か、

そうでないかも産む前に分からなかった?」










彼女は私の言葉から逃げるように、

私を殴ったり、大きな声で怒鳴りつけたり、

モノを投げて暴れたりして心の耳を塞いできました。










10年以上がその繰り返しで、

彼女の頭の中で物事が進展するコトはありませんでした。

母親としてのプライドが

それを許さなかったところもあるかも知れません。





でも、子供の言葉に耳を塞ぐような、

自分にすら嘘をつき続けて、

罪を罪とも認めないで居ないと守れないような、

そんなプライドなら壊れてしまえ。





そう思って、私は10年以上同じコトを、

言葉を変え、場面を変えて言い続けてきました。










今日、ようやく、

私の言葉が彼女のオツムに届いた・・・みたいです。





もしかしたら、子供としての私の言葉は

直接的すぎて彼女にとって辛いだけの代物だったのかも知れないですね。





自分の言動を子供として責めるコトの無い、

同じ「女」としての立場に居る私の話を

自分と照らし合わせて聞いていて、

ようやく自分の「罪」が何かを理解できたのかも知れません。












けれどいくら悔いても嘆いても、

過去の話は過去の話。

過ぎてしまった時間は巻き戻せない。



産んでしまった子供も

消えて他の人のお腹から生まれなおすワケにはいかない。



私も姉たちも母親の過去の言動を

許すコトはあっても忘れるコトは無いでしょう。












姉がどうかは知りませんが、

私は母親に贖罪など期待しません。





彼女だけが悪いワケでもないだろうし、

一度犯してしまった過ちを悔いたり消そうとするよりも

二度と同じ過ちを繰り返さないように

「それでこれからどうするのか」の方が大事だと思うから。





自分の罪を認めるなら、

今までの自分の何が間違っていたかを考えて欲しい。





過去の自分の過ちをいちいち掘り返して省みる作業は

言い換えれば過去の自分の傷を

痛みを堪えて自分で抉り出す作業です。





とても辛くて途中で逃げ出したくなるだろうけれど、

それをしてはじめて改善すべき点と

「それでこれからどうするか」が見つかる。











贖罪を期待するより残酷かも知れないけど

願わくば、私は彼女が自分の力で

「これから」を見つけ出して欲しい。





そして彼女の見つけ出す「これから」が

私の思う「これから」と一致していますように。





私が、今の彼女に思うのはそれだけです。




















もし自分の愛情が異常だと気付いたなら、

「現在の私」の歩みを止めないで欲しい。





もう彼女の手から解放して欲しい。





・・・それだけなんです。















 ↑
エンピツランキング投票ボタン。
今回通常仕様。
(・・・って言うか思いつかんかった。)


ついでのMy登録。



 < 過去  INDEX  未来 >



My追加。
ご感想をば。


某突起名 [MAIL] [BBS]