大地震から1週間以上経って、自分の心も落ち着いて来たので、記録として。
我が人生最大震度で、棚からは本やCDが落下した。 立て掛けていたアイロン台は倒れ、電子ピアノの上の物も落ちている。 落下物の中で1番重かったのはアイロンで、床がちょこっと抉れた。 プレステ2は落ちたが、TVもミシンも無事。壁にかけていた小さな額縁もそのまま。 そして何故か、PC台の上に置いてあった未開封のジョン・クリーズ人形は、倒れてさえいなかった。 記録の写真を残しておこうかと考えたが、棚の物が全て落ちた訳ではなく、ほんの一部だったのでやめた。 そこまで悲惨ではなく、雰囲気は普段と余り変わらない。(主人にそう話すと、酷くがっかりされた) 後で隣の奥さんに訊いたら、やはり大した被害は無かったという。 この建物は窓が南北方向なので、東西の向きにしか家具を置けないのだ。 主人が、TVが駄目になった同僚や、食器類を壊滅された親戚に聞いたところ、何れも家具の正面は南北を向いていたらしい。我が家よりも震源地から遠いのに。 だから、揺れの方向と家具の向きが上手い事合っていたのではないか、と我々の中で何となく答えが出た。素人なので本当のところは知らないが。
さて、最初の大きな揺れが治まって私がした事は、避難用荷物の纏めだった。 幸い部屋の中は大した被害が無いので、片付けないと危険という事も無い。 それにどうせ片付けたって、大きな余震が来ればまた落ちるのだと思うと、無駄な気がした。 次の行動は、私にしては早かった。流石に尻に火が着いたか。 いつも使っている肩掛け鞄に、取り敢えず肌身離さず持っていようと思う物を詰めた。 ・財布・携帯電話・その充電器・化粧ポーチ・メモ帳・ボールペン・ハンドクリーム・塗り薬・当日分の飲み薬・ペンライト・スペアの単四電池・現金・通帳・印鑑・定額郵便貯金証書・旅券・年金手帳・ワンセグTV。 年金手帳が本当に必要かは兎も角、貴重品まで持ち出したのは、万一火事場泥棒に入られた場合を考えての事である。 世の中には性根の腐った奴がいる。田舎だから泥棒なんていないから大丈夫などという事は決して無い。 交通手段の発達した今、余所者だって多いのだ。現に私も余所者だし。 取り敢えず、命とお金があれば何とかなる、と思った。 主人とは連絡が取れていなかったが、生命保険証券は持ち出さなかった。天災なら免責になるだろうと思ったからである。 しかし後に、大手保険会社では、今回の震災は免責の適用外になったらしい。 わからないものだ。次回は持ち出そう。 いや、次回が無いといいのだが。
家の中にいると、余震で食器がカチャカチャと音を立てるのが不安を倍増させるため、車に避難した。 NHK第一をつけたが、日本語と英語または中国語の2箇国語同時放送で、非常に聞き取り辛かった。 苛々するので速攻消して、ワンセグTVをつけた。それで津波の実況放送を目にした。 えっ本当にこれが現在起こっているの?と不思議な感じがした。 運命が違っていたら、私がこの中にいたのだ。 エンジンをかけていなかったので、すぐに寒くなった。温かい飲み物を取りに部屋に戻った。 お茶をタンブラーに淹れ、膝掛け毛布を持って車に戻った。歩くとお茶がちゃぷちゃぷと零れて毛布にかかった。 スタバの蓋付きタンブラーが欲しいと思ったのは、この時である。しかし後に主人にその話をすると、 「ステンレスの水筒に入れればいいじゃん。2本もあるのに。流しの下で倒れていたぞ」 と言われ、初めて水筒の存在を思い出した。すっかり忘れていたわ。 車の中でも酷く揺れた。電線が縄跳びの縄のように揺れる。 地割れが起きたらどうしよう、すぐに逃げられるだろうか、と考えていたら、主人からメールが来た。 こっちも大丈夫だが、家の中はぐちゃぐちゃだと返事を出した。
暗くなって益々寒くなったので、一旦部屋に戻った。地震直前までストーブをつけていたので、車内よりずっと暖かかった。 取り敢えず、いつでも逃げられるように、荷造りをしておこう。 最悪の場合私だけ実家に逃げるつもりで、主人と私それぞれの着替えを別々に1泊分ずつ風呂敷に包んだが、寒さのためか動揺のためか、手が震えて上手く結べなかった。 他に要る物は何だろうと考え、思い付く物を片っ端からスポーツバッグに詰めた。 ・タオル・洗面用具・頭痛薬・整腸剤・私の飲み薬全部・ペットボトル飲料・お菓子・あとは? 荷物を詰めていると、お隣の奥さんが子供を連れて訪ねて来た。何かあったら宜しくと挨拶して行った。 主人からまたメールが来て、今日は余震も心配だし、取り敢えず避難所に来るかと言われ、じゃあ行くと返事をした。 折角声を掛けて貰ったのだからとお隣さんも誘ってみたら、一緒に行くというので、支度を待って一緒に避難した。 うちの車にチャイルド・シートは着いていないが、緊急時として免除して貰おう。 もう日はとっぷりと暮れており、信号も明かりも消えた道を、そろそろと車を走らせた。
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