阿呆的日常 主にJとかプロレスとか。
アホラレツ|キノウ|アシタ
| 2003年01月17日(金) |
見える自分と見えない自分。 |
昨日の「ピルグリム」について。 ピルグリムって『巡礼』って意味だったんですね…… ちなみに、ストーリーは新国立劇場のHPより引用しますと ----- 連載を打ち切られた流行作家・六本木実篤は、編集者・朝霧 悦子の説得を受け、最後の勝負をかけた長編冒険小説を書き 始めた。小説の中の登場人物達は、それぞれの運命を背負い ながら幾たびかの障害を乗り越えて目的地である”オアシス” へと旅を続ける。謎の黒マントの男に呼び出された六本木は あろうことか執筆中の小説の世界へ連れ込まれた…。 ----- という感じで、舞台上での現実と、六本木の小説の世界が 交錯しながら『オアシス』を求めて舞台が動いていくんです けれども、面白かったし、考えるところもありました。 人によって感じ方はそれぞれだけれども、『理想の地を求めて 「巡礼(ピルグリム)」を続ける人々』に、観劇した人は 何を感じたんでしょうね。
ワタシが一番考えたっていうか、思ったのは、『見える自分』 と『見えない自分』についてなんですけど、人って誰もが 『こう在りたい』と願う自分と『いま在る』自分って近しい ようですごく遠くて、そのジレンマにすごく悩みますよね。 本音と建前じゃないけど、本当の自分はどう在りたいのか、 どう在るべきなのか、悩まない人はいないと思うんです。 ちょっとした進路で悩むのも、きっとその一部だと思うし。 『いま在る』自分っていうのは、現実に在る自分で、社会に 組み込まれている自分で、『こう在りたい』自分は、例えば 『理想の自分』で。『理想』通りに生きてる人なんていない だろうし、『理想』に近づく努力をしたり、『理想』をもう どこかに仕舞って『現実』だけで生きていたり、人ってきっと 悔しくて情けないほど、『こう在りたい』自分に振り回されて 生きているんじゃないかと思います。 『理想』がきっと全てではなくて、『理想』にたどり着いたと しても、きっとまた『こう在りたい』という願いに簡単に 振り回される、そんな気がします。
だから『理想郷(ユートピア)』は在るけれども、たどり着け ない場所じゃないかって思うんです。 それはきっと、人間の欲望って果てがないからかもしれない。
『見えない』自分は、他人にも自分にも見えないし、葛藤する ことで、きっと自分だけがその存在を把握できて、『見える』 誰もがわかる自分は、本当の自分だけれども、存在している けれども、どこか否定ばかりをしてしまう。 否定をしちゃうのは、『見えない』自分の存在があるからで。 『見える』自分が『見えない』自分を求めて悩んで、戦って、 負けて、打ち勝って、自分を肯定できる強さを持つ。 生きていくって、自分に対する『欲望』との葛藤なのかもなと 薄ら寒い感じで(苦笑)思いました。 近い将来、遠い将来、考えないといけないこと、やらないと いけないことはたくさんあって、逃げても時は平等に刻まれて いくから、義務的に感じるのは間違っているかもしれないけど、 きっと『見えない』自分と、『理想の自分』と葛藤し続ける。 自分を振り回すのは他人でも環境でもなくて、きっと自分自身 だから、その葛藤から逃げちゃダメだなって思います。 否定するのは簡単だけれど、自分を肯定できる強さを持てる ように。でも、ワタシの『理想』って何なんだろう。
『ピルグリム』を観て何考えてんだって感じですが、ときに ワタシも真面目に人生考えないとね。 感想っつーか、妙に論点ずれてるけども。
S氏に可愛い下着の話をしたら、「つけてるときは結構だから 下着だけ見せて」と言われました。 相変わらず失礼な人よね……
き あ ぬ
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