よるの迷走日記
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富山県の公文書館に行ってきました。 お目当ては特別展「幕末の越中」。 横が県立図書館で向かいが埋没文化センター、 とってもよる好みな環境なのに来たのは初めて。 何だか自分でも意外です。何だかものすごく「遠い」 イメージがあったのだけど。いくらなんでも市内だしね。 建物も、古文書のイメージから埃っぽい・黴臭い・陰気なのを 想像していたらきちんときれいな設備でした。 税金ってちゃんと使われてるんですね。ちょっと嬉しい。 展示の奥に閲覧室があって、ほぉーっと覗き込もうとしたら 自動ドアが開いて死ぬほどびびった……侮りがたし。 一般に幕末、加賀百万石がその存在感のわりに大きな動きを 見せなかったのは有名ですが、資料や年表でちゃんと 教えてもらうと大変わかりやすかったです。
ご存知な方もそうでない方も、江戸時代富山藩って 加賀の支藩だったのです。歴代藩主は皆前田さん。 開国前後、金沢・富山藩はどちらも超財政難。 おまけに日米修好通商条約を結んだ年、もともと 米価が高騰してたところに安政の大地震→常願寺川土石流 &梅雨の長雨でさらに急騰。 人々の苦しみに目を向け藩政改革を訴えたのが 加賀藩内にごくわずかいた尊皇攘夷派な人たちだったのですが、 禁門の変の時に淘汰されてしまいました……南無。 ちなみに加賀藩主の世子は京都警護を命じられながら 禁門の変の前に帰ってしまい、世間の人からは馬鹿にされる始末。 殿様はあっちこっちに「うちの息子は重病で判断能力がなくて」 だの「阿呆な家臣が勝手に決めてしまいまして」だの 言い訳満載な釈明の手紙をあっちこっちに送っているようです。 何か幕末が身近になってきたな。長州や新選組が血で血を洗って いた頃、何を責任逃れなことをやっているのだね。 志士達が「日本とは」「国とは」を真剣に考えている頃、 加賀・越中では改革派・守旧派が藩の主導権争いに明け暮れ、 家老が暗殺されたり結構血なまぐさいことをやっていたようです。 何だかなー。 しかし、越中出身でも頑張っていた人もいるようです。 資金面で志士達を支援した商家の人たちもいれば、 公卿や志士達の連絡係として暗躍、新選組に捕らえられて 西本願寺で拷問を受け、亡くなった宮永良蔵のような人も いるようです。 そして意外な大物がいたのですよ。斎藤弥九郎。 神道無念流!練兵館!!塾頭桂小五郎!!! 「桂よ。免状あたったからいうて、練習怠けたらあかんがやぞ。 逃げてばっかおられんぞ。この免状、うしなかすなよ。」 とか諭したこともあったかもしれん。そう思うと明治の元勲が 一気に親しく思えてくる……ちょっと言いすぎかしら。
ついでに埋没文化センターの特別展「材を活かす」も見てきました。 編物に使うらしきめもり……きっとA型気質の人が最初に作った に違いない。あととっても目の細かい櫛。今も昔も女の美に対する 執念と言うのはすさまじいなと思いました。
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