よるの迷走日記
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2004年11月10日(水) 身近な幕末

富山県の公文書館に行ってきました。
お目当ては特別展「幕末の越中」。
横が県立図書館で向かいが埋没文化センター、
とってもよる好みな環境なのに来たのは初めて。
何だか自分でも意外です。何だかものすごく「遠い」
イメージがあったのだけど。いくらなんでも市内だしね。
建物も、古文書のイメージから埃っぽい・黴臭い・陰気なのを
想像していたらきちんときれいな設備でした。
税金ってちゃんと使われてるんですね。ちょっと嬉しい。
展示の奥に閲覧室があって、ほぉーっと覗き込もうとしたら
自動ドアが開いて死ぬほどびびった……侮りがたし。
一般に幕末、加賀百万石がその存在感のわりに大きな動きを
見せなかったのは有名ですが、資料や年表でちゃんと
教えてもらうと大変わかりやすかったです。

ご存知な方もそうでない方も、江戸時代富山藩って
加賀の支藩だったのです。歴代藩主は皆前田さん。
開国前後、金沢・富山藩はどちらも超財政難。
おまけに日米修好通商条約を結んだ年、もともと
米価が高騰してたところに安政の大地震→常願寺川土石流
&梅雨の長雨でさらに急騰。
人々の苦しみに目を向け藩政改革を訴えたのが
加賀藩内にごくわずかいた尊皇攘夷派な人たちだったのですが、
禁門の変の時に淘汰されてしまいました……南無。
ちなみに加賀藩主の世子は京都警護を命じられながら
禁門の変の前に帰ってしまい、世間の人からは馬鹿にされる始末。
殿様はあっちこっちに「うちの息子は重病で判断能力がなくて」
だの「阿呆な家臣が勝手に決めてしまいまして」だの
言い訳満載な釈明の手紙をあっちこっちに送っているようです。
何か幕末が身近になってきたな。長州や新選組が血で血を洗って
いた頃、何を責任逃れなことをやっているのだね。
志士達が「日本とは」「国とは」を真剣に考えている頃、
加賀・越中では改革派・守旧派が藩の主導権争いに明け暮れ、
家老が暗殺されたり結構血なまぐさいことをやっていたようです。
何だかなー。
しかし、越中出身でも頑張っていた人もいるようです。
資金面で志士達を支援した商家の人たちもいれば、
公卿や志士達の連絡係として暗躍、新選組に捕らえられて
西本願寺で拷問を受け、亡くなった宮永良蔵のような人も
いるようです。
そして意外な大物がいたのですよ。斎藤弥九郎。
神道無念流!練兵館!!塾頭桂小五郎!!!
「桂よ。免状あたったからいうて、練習怠けたらあかんがやぞ。
逃げてばっかおられんぞ。この免状、うしなかすなよ。」
とか諭したこともあったかもしれん。そう思うと明治の元勲が
一気に親しく思えてくる……ちょっと言いすぎかしら。

ついでに埋没文化センターの特別展「材を活かす」も見てきました。
編物に使うらしきめもり……きっとA型気質の人が最初に作った
に違いない。あととっても目の細かい櫛。今も昔も女の美に対する
執念と言うのはすさまじいなと思いました。


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