みかんのつぶつぶ
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今日で6月も終わり。
去年の日記を読むと、 あのときの場面がそっくり空気の色まで思い出す。
2001年06月30日(土)
身体がね、 くにゃくにゃしちゃってね・・・ お風呂からね、 上がれなくなっちゃった。 しかたがないからね、 看護婦さんを呼んだのだけれど、 とってもとっても 悲しそうな顔をした彼。
こんなことすらできない・・・
昨日の常識が、 今日はもう、常識ではなくなってゆく。 これ、 意味わかる?
死んじゃうから? いいの? こんなふうに どこまでも辛い思いをさせても 仕方がないの?
お願いだから、 このまま息をとめるようなことは しないでください。 せめて、 せめてもう一度、 風を切って 大手を振って 歩かせてください。 自由の風を 彼に、 あたりまえのことを 彼に、 ささやかな幸せを彼に、 一生懸命耐えたご褒美を彼に、 神さま・・・
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少しでも、
彼の気を紛らわせようとして、
私には自然に接することを通り越して、
毎日、
いま以上に彼が快適に過ごせることはないかと必死だった。
「〜してあげる」
この行為でしか彼を救う手段がなかったから。
すべてひとり。
私だけの責任。
彼もひとり。
ひとりで闘うしかない。
彼の身体にある腫瘍は、
彼をターゲットにしているのだから。
痛みを理解することなんて、だれにもできない。
だから、
「理解してあげる」姿勢を彼に見せることで、
彼の心が穏やかになってくれるだろうと信じた。
所詮、
別の人格、別のDNA、他人。
縁あって一緒にいるのだから、
思いやりをもって、
なにかをしてあげたいと思うのは、自然なことなのでは?
私は、そう思う。
私は、彼によく言われたことがある。
初対面で親切にしてもらって嬉しいのはわかるけど、 そういう人には、ちょっと気をつけたほうがいいよ。
これは、私の浮ついた姿をたしなめる言葉だった。
もっと腰を落ちつけて人を見なさいと。
いつも彼は、
私の意見を否定した。
違う意見を持ち出してきた。
いやだな、と何度も思った。
私を理解することをしないひとだと思って、反発した。
でも。
一番私を理解していたのは、やっぱり彼だった。
彼は、
私の考えが狭くなることを止めてくれていたのだ。
わがままな私を、
億劫がらずにたしなめていてくれたんだね。
いろんな場所へ行って、 いろんなものを一緒に味わって、 いろんなものを一緒の視界に入れて、 いろんな出来事を経験して、
だから、一緒にいられたんだよね。 だから、病気になっても一緒にいられたんだよね。
笑っていても泣いてるって、 言葉には出さなくてもわかっちゃうから。
よき出会い。
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