私は埼玉の朝霞で生まれ育った。小学校が現在の市役所のある所にあって裏庭の境のフェンスの向こう側は米軍のキャンプだった。フェンス越しに遠くに見える建物の外廊下に車椅子で移動する人の姿や白衣を着た看護婦の姿が見えたのをはっきり覚えている。あれは戦争で怪我をしたアメリカの兵士達だと聞かされた時が多分私にとって初めて「戦争」への畏れを肌で感じた瞬間だったかもしれない。航空機が頻繁に離発着していたが授業を妨げる程の騒音ではなかった。先生達は自分達の署名活動によって飛行ルートを変えて貰ったからだと誇らしげに話をしていた。 独立記念日に一度だけ中に入ったことがある。一面芝の緑の美しい広々とした土地に、いかにも外国らしいしゃれた建物が点在していた。そこは、まさに外国だった。 先日、朝霞キャンプで知り合った米軍兵士と日本人女性との間に生まれた子供が一度も会った事のない父を探すと言うTV番組をやっていた。母は多くを語りたがらず、少ない手がかりでやっと探し当てた米国人の父はその日本に残した子供の存在を認めなかった。 (9:20am)