りとるのひとりごと。
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2006年04月01日(土) 自殺未遂

気が付けば4月になっていた・・。

日記更新は気になっていたけれど、3つの理由があって
今までできなかった。

一つは仕事が忙しかったこと。

一つは風邪を引いて体調がすぐれないこと。

で、あともう一つは・・。

あー、これ書きたくなかったからPCから遠ざかってたのかなあ。



先週、息子の誕生日を祝った夜、母がまた自殺を図った。

以前にもトイレなどでリスカしていたようだが、
おバカな私は血まみれのペーパーを見て自分の出血かと思っていた。

その晩は、錯乱したのか、母は夜中に突然パジャマのまま
家を飛び出した。

道路の真ん中でぼーっと突っ立っていたのを、
警察に保護されたのだ。

一歩間違えれば車に撥ね飛ばされていた。

夜中に何度か電話がなったのは、知らせを受けた叔父から
だったのだが、私は気分が悪くて起き上がれなかった。

何だか分からないが気分が悪くて眠れなかったのだ。

隣では息子が延々と咳をしながら眠っていた。

朝、母が行方不明なことを同居のおじさんから聞いたとき、
(「夜中に急に出て行ったけどどこいったんだろー」と)
私は胸がざわざわとして嫌な予感がした。

ふと電話を見ると留守電のメッセージが入っていた。

聞くと叔父からで、母が警察に保護されているとのこと・・。

私は何がなんやら分からず、一人パニクった。

息子が真っ青な私の顔を覗き込み「どうしたの?」と聞く。

「ねえばあばは?ばあばがいないよ、どこいったの??」

母を捜す息子。

私は心臓の鼓動が大きすぎてクラクラしながら、
震える手で電話帳を開き、警察の番号を調べた。

あ・・。

デジャヴだ。

6年前の。

ダンナが逝ってしまった日。

同じように、電話帳を開いて警察の番号を調べたんだ・・。

当然、フラッシュバックが起こり、その場で倒れた。

胃の中のものが全部出そうになった。

体中の血が、すーっと消えてなくなっていくかのようだった。

あの日と違うのは、お腹の中にいた息子が、今はそばにいること。



必死で体を起こして警察に電話をしたら、
母はすでに叔父のところに送られたとのことだった。

私の名や住所は頑として話さなかったそうだ。

叔父の家へ母を迎えに行った。

母は何事もなかったかのようだった。

いきなり問い詰めるのもと思い、私も何も言えずにいた。

結局なんだったのか、今もって母は話してくれない。

精神的に自分の容量を超えるものがあったみたい、と
後日母からメールが来た。

でもよくわかんない・・とも。

自分でもなぜそうしたか分かっていないようだ。


叔父に「しばらくお母さんのこと気をつけていて」と言われ、
私も心の余裕がまったくなくなった。

朝昼晩、母の具合が気になり落ち着かない。

私を産んだばかりに苦労ばかりしているので、
私の不安は私自身を責める方向へと向かっていく。

仕事していても買い物していても涙が出る。

「誰か助けて!!」と心の中で叫ぶ。

誰か私の叫びに気付いて欲しいと・・。


数日後、母の腕にすさまじい自傷のあとを見て、
さらに気が動転した。とっさに気付かないふりをしたが・・。

去年の私の自傷が、かすり傷に思えるほどのものだった。

胃がキリキリ痛んだ。

めまいがした。

母は私を産んだ頃も酷い鬱で、精神科に通っていたらしい。
(今でこそ「心療内科」なんてあるが、当時はなかった)

その頃に匹敵するか、それ以上の鬱が母を蝕んでいるのか・・。


これから一年でもっとも母と私が体調を崩す季節だ。

息子はますます口うるさく手がかかって仕方ない。

来週は入学式、新しい環境に息子より私がついていけるかどうか。

不安で不安でたまらない。

怖い。

大丈夫、って思っても、心のどこかで怯えている。

パートナーがいないと、こういうときにつらいな〜。

「俺がついてるよ、よしよし」って言ってもらえるだけで、
どんなに心が軽くなるか。安心できるか。

母も友人も私を支えてくれるのだから、
贅沢言っちゃいけないんだけどね。

でも、母のことがあって、余計に私も不安定になっちゃった。

入学式、息子と二人きりは寂しいよ・・。


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