闇の底に...Cuckoo

 

 

恋愛における第三者のルール - 2002年08月02日(金)

何事にもルールが存在する
社会でも学校でも
友情でも愛情でも
ただしそのルールは個々違い
聖域を侵すものは許されないが
侵したことに気がつかない場合も多々ある。


どんな事にもルールってある
それは自分の中や友達の中で自然と生まれる物の方が
法律で決められる事よりも守られると思う。
ただしそれはローカルであって
万人に共通する物じゃない
よって自分はいいと思った事でも
相手によっては許しがたい事もあるもんだ。

例えば水鳥の好きな人がいる
その人のする事は時に残酷で
アタシはそれに対してすごく傷ついたりもする
だけどそれを他の人に指摘されると
傷は好きな人につけられたものよりも大きくなり
キズを与えた彼より
そこを指摘する相手に嫌悪感を抱く場合もある

例えどんなにひどく冷たくても
それは第三者が言うべき事では無い
いやそうでもないけど
好きだと言っているうちはその相手をけなすべきじゃないんだろう
アタシの友達が振られた
彼女は付き合ってたときの彼の悪行を
淡々と話し相手をけなした
だけどまだ彼女が彼を好きなのは分っていた
その場合同意して彼を責めたら
傷つくのは彼女じゃないだろうか
そして憎まれるのはあたしじゃないだろうか
そうちょっと思った。

前からそれはわかっていた
だからアタシは聞きに徹する
彼女がアタシから聞きたい言葉は
彼に対する蔑みや怒りの言葉なんかじゃないんだろう
意外と分りづらい第三者としてのルールが
そこに存在している。

じゃァ何故人は
自分の愛する人がどんなに悪を持っていても
それを他人に指摘されるのを嫌うのか
それはよくわからないけれど
愛ゆえにと言えばそれまでなんだろうけど
もしかしたら
小さなプライドなのかもしれない
『そんな人を愛してしまった自分』
それは自己愛でもあるのだろうか

好きな人を責められた
好きな人をけなされた
それは違う面からみたら
自分が責められた
自分がけなされた
そんな風に感じているのかもしれない

どんな世界でもルールはある
誰もが知りうるルールもある
だけどいつしかそのルールも曖昧で
命を奪わないという最低限のルールでさえ
いとも簡単に忘れる人間もいる
我が子を殺してしまう親もいるし
我が親を殺してしまう子もいるくらいだ
必至で生きている道端の猫でさえ
晒されて殺されていくこの時代に
恋愛における第三者のルールがどれほど大切かなんて
まるで意味の無い事かもしれないけれど
せめて自分で
自分の大切な友を傷つけずに生きていきたいものだ




だって人は
その他で沢山の傷を受けつづけなきゃいけないのだから。







傷が癒される瞬間なんて

なかなか見ることはできないのに

傷を受ける瞬間はなぜこうも沢山

見つづけなきゃいけないのだろう。







今日も誰かが泣いている。




                   水鳥。


...




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