傷つける事 癒す事 @離婚に向けての一歩 - 2001年12月12日(水) 傷つける事は簡単だ 癒す事は難しい 誰もが知っているのに 誰も理解できないのかもしれない もちろんあたしも 人を傷つけるのってすごく簡単なんだろう たった一言で 些細な目線で ちょっとした仕草で 人は傷つく 悪意の言葉で傷つけられた人間は 善意の言葉では癒されない 1つの傷を治すには 100の愛情を必要とする いや多分 それでも傷が消えることは無いのだろう それなのに人は人を傷つけて生きている 子供の頃親に殴られて育った人がいたとしよう 大人になって結婚して 自分の居場所を見つけれたとしても 傷は癒えるはずもない いじめにあってたとしよう 大人になり例え大きな権力を得たとしても 記憶は消えることは無い 誰もが傷を持っていきているはずだ 哀しい記憶を持たない人間はいないはずだから 何不自由なく暮らしてきたとしても 心まで何不自由なく育ったとは言えないから じゃぁなんで 傷ついた人間は人に優しくなれる と言う? 誰もが傷ついて 誰もが癒される事も無く生きている だったら誰もが優しさだけを持って大人になる そうじゃない? 傷つける事は簡単すぎて 知らず知らず人を傷つけている場合も多くて 癒される事は難しすぎて どうすれば助けてあげれるかわからない どれほど傷ついたかなんて 人には見せれないのだから どうすれば救われるかなんて 人には分からない そう思いながら 誰かを傷つけてちゃって 誰かを救うのに必死になったりするのかな 救うって言葉はなんだか適当じゃない気がするけど 他に言葉が思い浮かばなくって 癒す と 救う はすごく違うんだろうけど なんて言えばいいのかな って悩んでみた 不安は疑心と傷に結びつく気がする。 でも安心は癒しに結びつかない気がする。 どうしてだろう でもあたしの中では もっとも癒しや救いに近いものは 安心 なんだと思う だからあたしは 求めるだけじゃなく いとおしい2人の子供に 両手いっぱいの安心をあげなきゃいけない 傷が見えればいいのにと思う もし目に見えるのなら 元旦那や 遥か昔友達だったカップルに 見せてあげるのに あなた達がつけた 傷だと 忘れてた 傷つけた事をなんとも思わない人たちに見せたとしても なんにも思わないだろうって事を 傷は隠して生きよう これ以上傷つかない為にも そんな事ができるなら ************************ 離婚に向けての一歩 お母さんと話しました。 年内離婚したい と言ったら 年内に話し合って離婚を決めて 来年1月の終わりくらいに届を出して欲しい との事でした。 なんか税金の関係とかあって 7万近く変わっちゃうんだって 後1ヶ月強で別れれるかな 奴がぶつぶつ言い出したらもっとかかるよね それでもお母さんはもう納得してくれたので 後は 保守的なお父さんに話して 奴との会合ですね 養育費について 公正証書作っても 払ってもらえなかったときに 罰則が無いようで 公正証書作る意味があるのかな と悩んでます。 ************************ ...
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