河村隆一活動日記...せい

 

 

αマンスリーカラーズ2回目 - 2001年07月08日(日)

αマンスリーカラーズ、2回目ですね。えー・・・そうですね・・・暑くなってきますよ−。これから。月曜何しようかと考えながらこの番組を聞いて休みを締めくくってると思っているんですが。えー、梅雨はなかなかあけないと思いますよ。もうそろそろでしょうか。僕が好きな季節は、春とか好きですね。秋口もいいですね。海に人が減ってくるから。京都だと何処???伊良子??御前崎??・・・あ、日本海の方か。舞鶴?宮津?綺麗ですか??日本海は冬だね。低気圧がきて、サーフィンもしたい。真夏も女の子の服が軽めで体型を間違えないからいい。冬だとコ−トを脱いだ瞬間、あれ??って。敵に回りたくないのでこのへんに(笑)。さて6月21日に新曲「静かな夜は〜」出ましたが。この曲はとっておきに深い切なさ、胸がきゅ−んとするナンバ−というか。今日は河村隆一スト−リ−編ということで。僕のこれまでをフラッシュバックしていこうと。まずは1曲さっきも言いましたが、この曲を。「静かな夜は、二人でいよう」。(曲)
じゃあ早速河村隆一ストーリー編をスタートさせましょう。出身地、神奈川県大和市。最初は下鶴間という所に住んでいて、小学校はリンカン小学校。コンクリ−トで出来た大きい滑り台があって、ジャングルジムがあって、校庭に何て言うか、レスキュ−隊??消防士さんが降りてくるような長い長い棒??今でも公園とかにあると思うんだけど、それで友達と上って、「俺が先だ」「お前が先だ」とか喧嘩もした。それから引っ越して大和市内でもすぐそばの西鶴間。小学校まで割と近くて・・・そうだな−10分もかからなかったかな。リンカンの時は結構歩いた記憶があるけど、5分とかかな??学校行く途中に、他人の土地の中なんですけど、小さな森??みたいのがあって、その森の間の細い道を通って学校に行ってました。学校は桜の木がいっぱい。春先になると毛虫の毒で手がぼろぼろになりましたね。虫かごに入れて森に持っていって放したり。小さいころは色々やった。くわがた取りやなんか、虫は平気。ざりがに釣り、鮒つりとか。5年の時に初めて音楽、プレイする方に興味を持った。親友でもあるお兄ちゃん達にビリージョエルとか聴かせて貰って。メロがいいなって。当然何唄ってるのか解らなくて、和訳を見ながら聴いていて、こういう感情を伝えるにはこういう言葉を使うんだって。英語の意味に初めて触れた。「わか」というレコ−ド屋で2本だけ古臭いエレキギタ−が置いてあって。その当時、MTVとか見て、バンド作りたいって思って。ギュイーンとかギター鳴らしたいって。唄は、好きでずっと唄ってたんですけど。で、そのギターを買ってステレオのヘッドフォン端子にシ−ルドつないでみたら…ポロロンととても美しい音色しかしない。ぎゅわ−んと歪んだ音がしなくて、故障してるんじゃないかと。先輩とかに色々聞いて回って、アンプに繋いでエフェクタ−がないと鳴らないって知って。音楽って、全然未だ浅いんだけど(笑)深いなあ、と、浅い段階で思ってました。色々未だ知らないことはいっぱいあるなと。14歳の時から先輩に呼んで貰って。学園祭でモッズとかサザンとか歌ってて、高校の学祭にも行きました。14歳の時にオリジナルを作ろう!!と思って、引越しの時にもうなくしたけど、テープに録ってました。そしてスロ−タ−というバンドを組んだりなんだかんだとして、18、9の時にLUNACYのメンバ−と出逢って89年結成。インディーズの時はとにかく走りまくり。で、変なおじさんが近づいてくるなーと思ったらSWEET CHILDの阪上さんで。神戸の人で怪しい関西弁。「あんたら売れましゅよ」なんつってね。LUNA SEAを支えてくれた。第6、7のメンバ−。走っていたら、動員もかなり増えてきて、今で言うとエクスタシ−ジャパンですね、其処からLUNA SEAというインディーズ盤出して、かなり売れて、レコード会社は10何社来まして。その内から好き勝手やらせてもらえる所にしようという事でMCAビクタ−、今はユニバーサルビクターとか色々名前がありますが、そこからメジャーデビュー。最初はメジャ−という所で悪い大人達に騙されるんじゃないかと(笑)、回りから見れば態度デカイバンド(笑)。でも1、2年で、本当に僕らのことを考えて、仕事してくれてるんだなあって気づいて。ツアーとかやってたのを思い出します。そしてLUNA SEAでずーーーっと走ってきて、97年にソロをやり、終幕し。ソロでも色々な曲が生まれてきたんですが、LUNA
SEAがなければ河村隆一のソロも無かったんではないかと、思います。ここで、97年に1枚アルバムを出したんですが、そのアルバム、「Love」から、「BEAT」そして、「小さな星」です。(曲)
さて、97年に一旦バンドを休止、停止、お休みしてですね、ソロを初めて、始めた訳ですが、その時に皆言ったのは、どでかいバンドLUNA SEAに支えられて生きて行くのではなく、一人一人で音楽をやった時に、本当に価値がある音楽をやれるのか。世の中に問おうよと。97年頭からソロをやってたイメージがありますが、実際は、2月位まではLUNA SEAのビデオを創ってて。その合間を縫ってI love youを作った。カップリングは今でも好きでよく歌っているCIERO。ガイレーベルでカラ−ズというバンドというかユニットに曲を提供してもらいメロを変えました。この番組も「カラーズ」って事で奇遇なんですが。97年はいい曲が本当にたくさんできてですね、それらに負けない位の曲を書けたらいいですね。その中でも2枚目のGlassが、プリプロ、レコーディングしている時に、ガイレーベルでも、自分の中でも揉めましたね。旧姓吉田美智子さんのおうちで作ったんで共作なんですけど。「隆ちゃん、これはシングルにするのはまずいんじゃ無いの???」と。当時はI love youや、後に出すBEATの様なアップテンポの曲が良くヒットしていたので。でも僕はどうしても異端児なので。マイナ−コ−ドだし暗いしバラ−ドだしリズムは間奏まで出てこないと。でも、今でも覚えてるのは、この曲で世の中に勝てなければ将来はない。と思った。人と同じ事をやろうとか、パクろうとは勿論思わないけど、絶対こんな風にラジオなんかで耳から入っている音楽から曲を作ってたりして、結果、似てる曲になることもあるかもしれない。その中で、Glassはそんな誰にも似てないような曲で、わくわくした。誰も「聴き難い!!」とか言って、聴いてくれなかったらどうしようって、怖さもあったけど、この曲が売れれば自分に未来があるかもと思った。自分にとって、キ−ポイントとなった曲。そしてBEATを出し、Love is...。この曲もヴォイトレ中に美智子さんが「こんな曲あるよ」とピアノで唄ってくれて。当時は実は温かいラヴバラードが書けなくて悩んでた。まあ、今でこそ「ラヴバラードを唄わせれば、河村隆一」なんて言ってもらえるようになりましたが。そしてアルバムが出て・・・その間に「Cranberry Soda」っていう、どんなソーダ???っちゅうミニアルバムを出して。確かこれがオリコン1位を取ったんです。シングルは1枚も1位になってないんですよ。でもGlassが、何か、1年で1番10位以内に居た曲って事で賞を戴いて。こういう売れ方がやっぱりいい。それでは、「Cranberry Soda」の中から1曲。「SE,TSU,NA」。(曲)
98年というか、97年の10月ですね、バンドに戻った訳ですが。皆それぞれ色んな想いを抱きながら戻ってきた。背筋をぴんとのばした活動ができたのではないかと。この「SE,TSU,NA」はですね、イントロでベースが「ブーン」といって、びびりましたけど。その時の武道館、来てくれた方はいるんでしょうか。4月23日。今年はこの武道館で始まった感がありますが、うん・・・すごく、覚醒する瞬間。チェンジする瞬間。でしたね。その前にLUNA SEA終幕があって。終幕の時、最後のステ−ジは計算しないで倒れてもいい。5曲しか唄えなくて、倒れても、その中で本気で唄えてれば、6曲で倒れてもいい。そう思って立つと、案外人間倒れないものだと。20何曲終わってからも未だ何曲かは唄えると思った位。全てを吐き出しました。同時に自分が作っていた、限界も見えて。その反動なのかどうか、武道館ではコミカルな面も見せたり、声がうわずるような緊張感がありました。今年は色々やりますよ。夏にはファンクラブでイベントをやります。限定なんでね、ファンクラブの子と友達になって、観に来てください。RKF、河村隆一、Ryuichi Kawamura Friends、で立ち上げた訳ですが。従来のFC、といっても入ったこと無いんだけど、それとは違う感じを作りたいって話してます。ざっくばらんに言うと僕の日常に触れていただく。僕がどうやって音楽を作り詞を考えているか。そんな僕の近いところに居るチ−ムっていうか。フレンズ、たくさん集まればいいなって。入ると毎月面白い新聞が届きますよ。そんな話はいいんですが。今年、そうですね、役者もやりたい。プロデュ−サ−もやりたい。と、言うか頼まれるんだけど。イメ−ジがわけばやりたい。自分ができる事でそのプロデュ−スする人ができなかったりすると、俺ももともと出来なかった筈でどうやってできたんだろうとか。人は始まりを思い出して切磋琢磨して行く事の連続だと。再度確認しております。自分としては、自分は唄を唄う人間なので、いい曲を書いて、唄って、回りに付随するものもやっていければいいなと。それではここで曲を。「Open your heart」「Flight」を聴いてください。
色んな事を思い浮かべてお話してきましたが。色々ありました。ア−ティストをやっている御蔭で自分の人生をお話するとリアクションを頂けるのは幸せだなあと思いながら話しました。ラストの曲は・・・そうですね、今日もこれで終わりにしましょうか。それでは「Ne」で。また来週。


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