Sun Set Days
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2004年12月24日(金) note.5

 良朗は夜遅くにマンションに帰ってくるとき、物音を立てないように静かに部屋に入る。それはいつの間にか身についてしまった癖だった。物音を立ててゆずを起こしてしまうわけにはいかなかったし、子供には充分な睡眠が必要だということをわかっているからだ。

 以前、いまよりもまだよく出張があった頃、帰ってくるとまだ小さかったゆずがリビングのソファーで眠っていることがあった。毛布を一枚持ってきて、それにくるまって眠っているのだ。その姿を見るたびに、良朗の胸は痛んだ。物音に目を覚まし、良朗の姿を認めると、ゆずは心からほっとしたように「おかえり」と眠たそうな声で言った。そんなときには自分がゆずに、本来なら与えるべきものを与えていないのではないかと思えた。

 けれどもゆずはけなげに自分を慕ってくれる。女の子だから思春期になるまでなのだろうなとは思いながらも、いまはまだパパとまとわりついてくれる。まっすぐな、素直な子に育って欲しい。願いはただそれだけだった。妻の最後の願いもゆずのことだった。ゆずを頼むわね。幸せな女の子にしてあげてね。

 病室での最後の日々を良朗は忘れることができない。そのときの数日間に交わしたいくつもの言葉は、その後の人生を歩む灯台の光のように良朗の前を照らしている。まだ小さくて母親がなぜ家ではなく病院にいるのかもよくわかっていなかった小さなゆずは、母親の葬式の間もまったく泣かなかった。何が起こっているのかよくわからずに、同じ年頃の住職の息子と一緒に走り回っていた。良朗はそのときに誓ったのだ。ゆずを絶対に幸せにすると。

 もちろん、それがうまくできているのかどうかはわからない。ただ、ゆずは頑張ってくれている。寂しい思いもさせているのだろうが、それでも春の野の花のような笑顔を見せてくれている。

 良朗はゆずの部屋の扉を静かに開く。パイン材のシングルベッドの上で、ゆずがかすかな寝息を立てて眠っているのが見える。うちのお姫様、と良朗は目を細める。自然と笑みが浮かぶ。元気で健康で幸せになりますように。それから妻の仏壇の水を取り替え、その前にある紺色の座布団に座り、両手を合わせる。そして願う。

 今日も一日ゆずを見守っていてくれてありがとう。明日もゆずが元気で健康で、幸せな一日を過ごすことができますように。そして、俺は頑張るから、まあ見ていてくれ。頼りないかもしれないけど、ベストは尽くすよ。
 妻の写真はいつも微笑んでいる。
 頑張っているわね、と語りかけてでもいるかのように。


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 お知らせ

 第一部 West(10章まで)を読んだ人のお気に入りの登場人物は、「花ちゃん」でした。


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