Sun Set Days
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2004年11月09日(火) note.2

 スケッチ。本文とは別に、登場人物たちのトーンを掴もうとして短い文章やあるシーンについての文章を書いたりする。それらの中にはそのまま本文に組み込まれるものもあるし、削除されるものもある。そして、削除されても、そこで書かれた断片やエピソードは、本文の他の部分に、目に見えない範囲で重なっていく(ような気がする)。
 とりあえず、今日はその一部を紹介。


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 季節外れのリゾートホテルの一階ロビーには、ほとんど人気のないカフェ&レストランがあった。
 二十時過ぎにその店に入った隆志と紗枝は、窓際の席に案内された。壁一面といっていいほどの大きさの窓の向こうには、呑み込まれそうに暗い海が広がっている。空は海との境目が曖昧で、中空に小さな半月が見えていることでかろうじて空だとわかる。静かな音量でジャズが流れ、海岸沿いに伸びる道路には、意匠の統一された電灯が等間隔に続いている。
「随分静かなのね」
 紗枝が窓の外を見つめながら言う。
「シーズンオフだからさ。夏になると随分混み合っている」
「来たことがあるの?」
「一度だけね。でももう五年以上前だ」
「ふぅん」
 紗枝はそう言って店内をぐるりと見回す。紗枝はいつも好奇心旺盛にあちこちを見回す。扉があれば開けてみたいし、窓があれば覗いてみたいのだ。
 まだ、本当に子供みたいだ。
 熱心にメニュー表を見つめている紗枝を見ながら、隆志はそんなふうに思う。実際、紗枝はまだ十九歳で、隆志より十歳も年下だった。些細な仕草も、言葉も、すべてが年相応なものだといえた。けれども、と同時に隆志は思う。ファインダー越しに覗く紗枝は独特の存在感を身に纏う。モデルとして、ある種のオーラのようなものさえ感じられる。集中力、と隆志は思っていた。紗枝を撮り続けたこの半年、普段は眠たそうにしている少女が、カメラを前にしたときに見せる別の表情は類まれな集中力から導き出されるものなのだろう。
「どうしたの?」
 気がつくと、紗枝が不思議そうに隆志を見つめていた。
「いや、なんでもないよ。ちょっとぼんやりしていただけ」
「ぼんやりするのは私の得意技なのにね」
 そう言って紗枝は小さく微笑む。それから、「私はこれにする」と細長い指でメニューをさす。

 食事が終わった後、二人はホテル周辺を散歩した。散歩はこの旅の間、食事のように当たり前に行われている。二人はゆっくりと、あてもなく歩く。あてなんて最初からどこにもないのだ。何に導かれて旅を続けているのかさえもときどきわからなくなりながら、それでも二人は旅を続けている。
 まるで、世界の果てを探そうとでもしているみたいに。
 隆志は仕事柄散歩のときにもカメラを持っていて、なんとなく気になった風景や紗枝を撮ったりもする。時々は、散歩をしている途中で、思いがけない風景に出会うこともある。
 先週訪れていた長野の山間の村では、古びた人気のない小学校を見つけ、その先に続く落ち葉にうずまったけもの道を見つけた。紗枝は落ち葉を踏みしめる感触が気に入って、わざと歩幅を大きくして歩いていた。隆志はそんな紗枝を微笑ましく思い、カメラを向けて写真を撮ろうとした。
「だめ」隆志に気づいた紗枝は言った。「楽しんでいるときは撮らないで」
「なんで?」
 隆志は訊く。
「だって、隠せないもの」
 いったい何を隠せずに、なぜ困るのかはわからなかったが、それでも隆志は小さく息をふっと吐き、手にしていたカメラを下ろした。「オーケー。思う存分楽しめ」
「ありがとう」
 紗枝は笑顔で答えると、嬉しそうに落ち葉を踏みながら足元を確かめるように坂道をのぼっていった。
 旅をはじめて半年が経ち、春だった季節はいつの間にか秋へと移り変わっている。紗枝はその間一度も自分の部屋に帰っていない。ずっとこの風変わりな旅を続けている。時間はあまりにも濃密な色をまとい、ときどきこの溢れんばかりの過剰さがもたらすものについて考える。
 どう考えてもこれはクレイジーだ。隆志はそんなふうに思う。けれども、クレイジーなもののなかにこそ、美しい瞬間が閉じ込められているのではないか。そして、自分は美しい世界をファインダーに収めることだけを願っているのではないか。
 半月は中空に浮かび、薄い灰色の雲が群れからはぐれた小鳥のように、稜線の上空にひとつだけ浮かんでいる。海岸通りの途中には白いペンキの塗られた手すりのある小さな橋があり、紗枝はその橋に駆け寄ると、途中の欄干に手をついて川を覗き込んだ。すぐそばの海に流れ込む小さな川。
「川を眺めていると飽きないよね」
 しばらく川を眺めてから、紗枝はそんなことを言う。「海を眺めていても飽きないよね」とも言う。「空」でも、「雲」でもそうだ。
「なんでもそうなんだな」と隆志が言うと、紗枝はそんなことはじめて言われたというように驚いた表情をして、「結局、世界が飽きないんだってことでいいのよね?」と言った。


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