Sun Set Days
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2004年09月04日(土) Decade

 久しぶりの更新。
 更新が途絶えている間の出来事は、中華料理を食べに行くの巻(帰宅2時で翌日仕事……)、部屋に人が遊びに来るの巻(帰ったのは午前3時で翌日仕事……)、睡眠不足のまま2泊の出張に行くの巻、出張から帰ってきたら遅い夏休みスタートで2泊3日の旅行に行くの巻となんだかいろいろだ。もちろん、もっと整理して説明するべきなのかもしれないけれど、Daysは個人的な日記のようなものなのだから、ごちゃごちゃしていてもまあいいかなとも思う。ちゃんと整理してまとめるのは仕事だけにまかせるとして。

 それでもまあ、ちょっとずつ触れると、

「中華料理を食べに行くの巻」

 以前からいい感じの店なのだと言われていた店に出掛けてくる。思わずまたかと言ってしまいそうな個室の多い雰囲気のよい中華料理の店で、春巻とか飲茶とかがとてもおいしかった……。

「部屋に人が遊びに来るの巻」

 眠い……

「睡眠不足のまま2泊の出張に行くの巻」

 いくら体力が落ちたといってもそこは気力でカバー。ただ、体調の波がちょうどよかったのか3時間くらいの睡眠でも意外と(たまたま?)眠気があまりなく、行き帰りの飛行機のなかで以前読んだ『プロフェッショナルの条件』(P.F.ドラッカー著。ダイヤモンド社)を通しで再読する。最近は仕事に関する本(流通業や小売業の理論書っぽいやつ)を部分読みばかりしていたので、逆に新鮮に感じられた。ドラッカーの本は数冊(5冊以上10冊未満くらい)しか読んでいないけれど、それでも読むともっとつきつめて考えないとなと思わされるのは相変わらずだ。

「2泊3日の旅行に行くの巻」

 本当は夏休み(水曜日から日曜日までの5日間)にはいま書いている長編小説『Wonderful World』(仮称)をちょっとこもりぎみに書こうと思っていたのだけれど、ちょっと思うところがあって学生時代の友人と会うためだけの旅行に出掛けていったのだ。
 1泊目は博物館で働いている友人と飲んで、2泊目は別の町に移って県庁で働いている友人2名と飲んできた。それぞれ5年ぶりくらいで、けれども久しぶりに会ってもすぐに普通に話すことができて、そういうのが学生時代の友人なのかなとぼんやりと思う。もちろん、それぞれの子供の話を聞いたりもして、そういったところには歳月を感じたりしたのだけれど。


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 今回、思うところがあって昔の友人に会う旅行に出掛けてきたのだけれど、個人的にはもうひとつの目的もあって、学生の頃住んでいた町をこのタイミングで見ておきたいということがあったのだ。僕は今月30歳になるのだけれど、以前から30歳になることをとても楽しみにしていたのだけれど、その一方ではやっぱりこれは大きな節目なのだから前を向くためにもいろいろと振り返ることが必要だとなんとなく(漠然と)考えているところがあったのだ。もちろん、以前村上春樹のエッセイの中に正月から書き始めた日記は続かないというような文章があって、それも確かにそうだとは思うのだけれど、それでもやっぱりこういうきりというものは大切じゃないかとも思えていたのだ。
 そして、今回は5日しか夏休みを取ることができず(しかもそのうち1日は用事があり)、だったら漠然と思っていたそれを実行するにはちょうどよいのではないかと思えたわけでもあった。いまでは国内ならなんだかんだですぐに行くことができてしまうし、ハイシーズンでもないのでホテルだって全然空いている。ということで、そういった漠然とした感情が現実的に折り合ってほとんど思いつき同然で旅立ってきたのだ。

 町自体は4年ぶりくらいだった。卒業してからは8年くらいになるのだけれど、以前友人の結婚式に来たり、仕事で近くまで来たときに足を伸ばしてみたりしたことがあったからだ。ただし、そのときにもついでという感じだったためにゆっくりと散策をしたりすることはできなかった。だから、今回は朝早くに部屋を出て、13時頃には町に到着するようにしていた。会う約束をしている友人の仕事が終わるのが17時過ぎなので、それまではたっぷりと時間がある。それで、駅前のホテルに荷物を置いて、タクシーでまずはかつて自分が住んでいたエリアを目指した。
 タクシーの窓から見る景色は変わっている部分も多くあったし、変わっていない部分もたくさんあった。けれども古い町なので、様々な変化も絶え間なくて大きな何かが飲み込んでいるみたいには見えた。表面で何が起ころうとも、町の地下にある心音のリズムのようなものは間隔を変えることはないとでもいうような。
 学生時代に住んでいた部屋の近くにある商店街の入り口でタクシーを降りた。コンビニのチェーンが変わっていたり、学生たちの行きつけだった飲み屋の店名が変わっていたり、その一方で人気のあった個人で営業しているお弁当屋は相変わらず営業を続けていたりと、様々な風景が歳月を感じさせた。卒業してからも友人の結婚式などで訪れたことのある町ではあったのだけれど、自分の住んでいたエリアには足を踏み入れたことがなかった。どうしてかはわからないのだけれど、駅と目的地の往復に終始していたのだ。なんとなく、当時はまだ生々しすぎたのかなと感傷的に思う。もちろん、たまたまなのだけれど、いまとなって思えばそんなふうにも思えるわけだ。

 商店街を抜け、学生時代にアルバイトをしていたカラオケ屋がまだ潰れていないのをみて驚く。ちょっと覗くと全然知らない人がカウンターにいたので(8年くらい経っているので当然のことだけれど)、そのまま目の前を名残惜しく通り過ぎる。
 それからもう少し歩いて、当時住んでいたアパートの路地に入る。うわ、と思った。アパートはリフォームされていた。しかも、かっこいいリフォームでもしていればいいのに、なぜかアイボリーだった壁が水色に塗られており、あんまり趣味のよいとはいえない姿を周囲に浮かび上がらせていたのだ。
 もちろん、別に昔のままの姿を求めていたわけでもないし、郷愁だけを感じたかったわけでもなかった。けれども、その狂った芸術家の失敗作のようにリフォームされたアパートは、なんだかシュールな現実っぽくて笑ってしまった。路地から2階の一番奥にある4年間住んでいた部屋を見上げて、リフォームついでにエアコンもつけたんだと思いながら、しばらくしてから元来た道を戻った。そして、昔大学に通っていたのと同じ道を通ってゆっくりと歩いた。大学まで徒歩で約10分くらいのところに住んでいたのだけれど、歩いているとなんだかとても懐かしく思えた。途中、何度か振り返りながら、学生時代には数え切れないほど歩いたり自転車で通り過ぎた道を何年振りに歩いてみた。

 まだ時間はたっぷりあったので、そのまま学生時代の恋人の住んでいた学生用マンションの方まで足を伸ばしてみることにした。なんだかそういうのってちょっと感傷的過ぎるかなとは思ったのだけれど、今回の旅行自体のテーマがいろいろと振り返ることなのだからと思い方向を変えて歩いた。
 やけに急な坂を下り、しばらく歩くと左手にピンク色の3階建ての建物が見えてくる。それもやっぱり随分と懐かしかった。他にも付き合っていた人はいたけれど、3年弱付き合っていたので、そこに住んでいた人が学生時代を振り返ったときには思い返されるのも当然のことで、すごく懐かしい感じがした。ただ、そのマンションは1つの階に10くらいの部屋があるのだけれど、彼女が住んでいたのが2階の左から数えて何番目の部屋だったのかを正確に思い出すことはできなかった。当時、いつも自転車置き場に自転車を停める前に、彼女の部屋の窓の明かりがついているのを確認していたというのに、いまではもう何番目の窓なのかということさえ思い出せないのだ。
 それは自分でもちょっと驚いたことだった。もちろん時間は経っているし、思い出が純化されがちなものだということもわかる。それでも、歩きながら、見たらそれくらいはわかるだろうと思っていた。けれども、全然どの窓かという自信が持てなかった。なんだか、自分が意外と薄情であるのだとつきつけられたような気がして、少しだけショックを受けたりもした。

 まあ、もちろんだからと言って落ち込むこともなくしばらくなんとなく眺めてから、そのまままた歩き始めたのだけれど。
 次は、町の中心地を目指して歩いた。歩くと結構距離があるのだけれど、まあいいかなと思いそのまま勢いで歩き続けた。夕方友人に会ったときに歩いた距離を話すと、「歩きすぎだろ」と呆れられるくらいに。けれども歩くことは好きだし、なんとなくそういう気分だったのだ。懐かしい町の、懐かしい通りや路地を黙々と歩きたいような。

 町で一番大きな商店街を歩き、学生の頃に頻繁に訪れていた大きな書店に入り、大きな公園を休み休みゆっくりと横切る。その間、昔のいろいろなことを思い返していた。もうしばらくこの町の光景を見ることはできないだろうから、記憶の中にあったこの町のイメージと、実際に見ている実像とを重ねて、記憶を補正してやらないとと思っていた。記憶は本当に放っておくとどんどん純化していってしまう。だから定点観測的に記憶をあるべき場所に、現実的な場所にちゃんと戻してやらないといけないのだ。

 そして、友人との待ち合わせの時間が近付く頃には、大分記憶の補正ができているような気がしていた。現実から乖離しつつある記憶に、新しいロープを放り投げて再び現実と結び付けてやること。繋がっていること。
 大切なことはたくさんあるけれど、きっとそういうことも意味があると思えばやっぱり意味があるのだろうし。

 友人と合流した後はまず友人の家に行き、2歳の娘を見て、友人に子供がいることに当たり前のことながら改めて驚く。それから飲みにいき、翌日には別の町で2人の友人ともやっぱり飲みに行った。なぜか公務員をしている友人が多いのだけれど、その畑違いの仕事の話を聞いたり、自分のことを話したり、家族のことや他のメンバーの近況のことなど、いろいろと言葉を重ねた。けれども本当に時間を感じさせなくて、まるで毎月定期的に飲んでいるメンバーとでも言えるような感じだった。さっきも書いたけれど、何年のブランクがあっても、最近まで会っていたような親密さで話ができるのが学生時代の友人のお約束なのだろうなと思う。


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 今回の旅行中に3冊本を読んで、2つの映画を観た。
 本は、『巡礼者たち』(エリザベス・ギルバート。新潮社)、『いくつもの週末』(江國香織。世界文化社)、『パーク・ライフ』(吉田修一。文藝春秋)で、映画は、『サンダー・バード』と『ヴァン・ヘルシング』。
 今回はビジネス関係の本は持っていかないということにしていて、しかも『巡礼者たち』と『いくつもの週末』は再読。なんとなく以前読んで印象に残ったやつを読み返したい気分だったのだ。
 映画は、時間があったやつを見た。ただ、はじめての経験をしたのが、『サンダー・バード』は自分しか観客がいなかったのだ。それほど大きな映画館ではなかったのだけれど、はじまるまで結局誰も入ってこなくて、そのまま一人で映画を観た。これはもし僕がいなかったら上映はしなかったのだろうか? とか、ものすごく大きなホームシアターのような気分だとかいろいろと思っていたのだけれど、旅行中に入った映画館でたった一人きりで映画を観るなんてと不思議に思えたのも事実だ。いままでたくさん映画を観てきたけれど、たった一人きりというのははじめてだった。内容の方は、いや、ええと……

 帰りは大宮に寄って、街をぐるりと回ってみた。いままで通り過ぎることはあっても、ちゃんと回ったことがなかったからだ。
 久しぶりに洋服も買って、『ヴァン・ヘルシング』も観た。初日のせいか結構人が入っていたのだけれど、個人的にはちょっとなぁ……という印象。でもたぶん続編も作られるのだろうなという感じでもあった。『ボーン・アイデンティティー』にも続編ができるのだから、それはまあお約束なのだろうけど。
 そう、映画を観る前にジュースを買ったら、お釣りのところに小銭が山ほど入っていて、自分のお釣りの分を抜いて係員に渡した。「自動販売機のお釣りのところに入ってましたよ」と言って。
 誰かの取り忘れのお釣りに当たるのもはじめてだった。
 なんだか、そういうささいなちょっとしたことがたくさんある旅行でもあって、妙に印象深いところもあった。


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 個人的には、(Daysには書かないけれど)他にもたくさん思うところがあって、いくつかのことを書き残すこともできて、いいきりにはなったかなという気はする。30代をよりよいものにするためにも、頑張るためにも、今回の旅行はちょっとしたアクセントになった感じだ。


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 お知らせ

 アクセスカウンタが30000を超えていました。いつも遊びに来ていただいているみなさん、ありがとうございます。


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