Sun Set Days
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最近は涼しい日が続いているけれど、より冬に近づいてくると、空気が随分と乾燥してくる。 実家にいた頃は、初冬の一時期の持つ、冷たく乾いた空気が結構好きだった。道端にはまだ街路樹の落ち葉が寄せ集められていて、空は突き放したような曇天で、高架の下に暗い影ができるような午後の雰囲気。そういうときには、たとえば何かを地面に落としたらその音がいつまでも長く低く響き続けるように思えたし、冷たい北風が世界と身体との間に埋め難い致命的な溝があることを理解させたりもするのだった。 商店街の明かりもそういう午後には早く灯り、日は思いがけず早く落ちる。駅から降り立つと、ファストフードの店の照明がやけにまぶしく見えたり、目の前に続いている緩やかな坂道がいつもの見慣れたものとはどこかが違うような気がする。道行く人たちはコートの前をしっかりととめ、寒さを防ぐことと人生の荒波を泳いでいくこととがイコールのように思っているように見える。 そんな午後や、夕方はきっと何度もあった。1日1日を明確に覚えているわけではないけれど、何日かのトータルのイメージとして、そういうグレーな初冬のイメージは結構色濃くある。それは穏やかな春の1日も、まぶしい夏の1日も、燃えるような秋の最中の1日も自分の中に(ある種のイメージとして)あるように、初冬のイメージ<曇りバージョン>としてストックされているのだ。
そういう意味で考えてみると、様々な季節のいくつものイメージが、まるで自分の中に小さな引き出しがいくつもあるキャビネットがひとつあって、その一つ一つの引き出しの中に香水の小さな瓶に入れられてあるみたいだと思う。キャビネットのインデックスのところには、<夏:溶けるような暑い午後>とか、<冬:その冬最後の雪>、あるいは<春:冬に戻ったように冷たく寒い1日>というように、その小さな引き出しの中にどんな季節のイメージが閉じ込められているのかが書かれている。 その引き出しを開けて、その中に入っている小さくて透明な瓶を取り出して、コルク栓をきゅっきゅっと回しながら取ってみる。そうしたら、眼前にその瓶の中に閉じ込められていた季節のイメージが立ち上がってくる。香水の匂いを嗅いで元々の材料を思い描いてみるように、雰囲気のようなものを反芻することができるようになる。そういうキャビネットは誰の中にもあるのだと思う。人によって、過してきた環境によって、そのキャビネットの引き出しの数と、インデックスに書かれている文字がたぶん異なってくるだけで。 だから、同じ引き出しを持つ人たちの間では季節の話はより”合う”のだろうし、たとえば異なる場所で過した人たちはほとんど引き出しの中身が重ならないのだろう。 季節に限らず、たとえば感情の種類に関してみても、そういうキャビネットのようなものは誰の中にもあるのではないだろうかと思う。普段はどの引き出しもしっかりと閉じられている。そして必要に応じて(リアルなキャビネットがそうであるように)、開けられていく。だから、それぞれの季節の持つある種の感じを思い返そうとするとき、僕らは自分の中にあるそのキャビネットの前に立って、どの引き出しを開けるべきなのかをしばし考える(あるいは無意識のうちに適切な引き出しを開けている)。
たとえば雨ばかりが続く休日の午後に、昼寝をするようなときに、そういうキャビネットの引き出しについて思いを巡らせることは、暇つぶしには結構いいことなのかもしれない。そのうち浅い眠りに落ちたりもするだろうし。
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「季節の話」はたとえば営業トークのわかりやすい基本ででもあるように言われているけれど(「最近は暑いですねえ」とか「日に日に寒くなってきましたね」とか)、「季節の感じ方の話」はある程度以上親密にならないとなかなかできないものだと思う。それは引き出しの中を開けて(=心の中のある部分を開いて)伝える必要のあることだからなのだろうし、だからこそ「季節の感じ方」が似ている人と会ったときには、なんだか思いがけず嬉しくなるのかもしれない。
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お知らせ
自分ではつけてはいないですけど、夢日記とかつけている人もいるのですね。枕元にノートと筆記用具を常備して。
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