Sun Set Days
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| 2002年08月31日(土) |
『バイオ・ハザード』+『リターナー』+『ローマ人の物語�察^�名高き皇帝たち』 |
午前中は会社の課題をして、午後少しだけ仕事場に顔を出す。 それから、中途半端な時間になったので映画でも観ようかなと、電車に乗ってシネマコンプレックスに行くことにする。スクリーンがいくつもあるので、時間を調べないで行っても1本くらいは観たい映画があると思ったからだし、そういう意味ですごく便利な場所だと思う。 シネマコンプレックスに着いて、ちょうどいい時間だったのが『バイオ・ハザード』。ちょうど今日封切りだったし、ゲームもやったことがあったし、ミラ・ジョヴォヴィッチは好きだったので(たぶんこれが一番大きな理由)観ることにする。
ゲームを映画化した作品って結構いろいろあるような気がするのだけれど(昨年の『トゥーム・レイダー』もそうだし、昔は『スーパー・マリオ』だって映画化されていた)、たいていの場合あんまり快作とはなっていないような気がする。それが自ら動かすゲームと観る映画の能動受動の関わり方の違いなのか、それともただの偶然なのかはよくわからないけれど、この作品も個人的には大味なような気がした(ハリウッド映画に大味じゃないことを求めることが云々という話はおいておいても)。 ただ、ゲームの雰囲気は忠実に再現していて、ああこれは確かにバイオハザードだ、とは思えた。怖いシーンはちゃんと怖いし、閉鎖感はあるし、ゾンビの動きも確かにあんな感じだというものだったし。 ミラ・ジョヴォヴィッチは格好よかった。ゾンビであふれる施設内でも肌を大幅に露出した服装で通していたのはどういう意図なのだろうという感じではあったけれど(もちろん、軍服めいた服装よりはずっと魅力的ではあるのだけれど)、かなり適役だったと思う。意思的な瞳というのはこういうのなのだろうなという感じ。 ストーリーは、ネタバレしてしまうのがあれなので書かないけれど、本当にまんまバイオハザードでちょっとびっくり。 映画館を出る人たちもあのラストにはかなりいろいろ言っていたように見えたし。
そして、『バイオハザード』の後味のためなのか、なんとなく別の映画を観ようと思ってしまって、やっぱりまた時間の近かった『リターナー』を観ることにする。これも今日封切り。個人的には『オースティン・パワーズ』か『ウインド・トーカーズ』が観たかったのだけれど、ちょうど間が開いていたのだ。 先日、出張で札幌にいるときに実家でテレビを見ていたときに、ちょうどコマーシャルで予告編を見てどういうのだろう? と思ったのもあって。
感想としてはコマーシャルで感じた通り、日本製のハリウッド映画のような作品。金城武演じる殺し屋のミヤモトと、異星人との戦争で滅亡の危機にある未来から過去を変えるためにタイムスリップしてきた鈴木杏演じるミリが、相棒となって世界を救うまでの活躍を描く物語。そこに、ミヤモトの過去の因縁の相手である岸谷吾郎演じるマフィアの溝口が絡んでいく。 この映画では、金城武が本当に格好いい。この人をはじめて見たのは『恋する惑星』だけれど、そのときから思っていたのだけれど、話し方がとくにいいと思うのだ。あの話し方が、もともとの雰囲気と相まって(たとえ殺し屋であっても)優しい、あるいは純粋というような雰囲気を与えているような気がする。未来からやってきた1人の少女を守るヒーローとしては、かなりハマリ役だ。
個人的には、タイムスリップものとか、SFめいた作品は結構好きだし、いいよなと思う。
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『ローマ人の物語�察^�名高き皇帝たち』読了。塩野七生。新潮社。 『第四の手』は一気に読みたいから時間がまとまってできたときにと思っているうちに、毎日少しずつ読み進めていたこちらの方を先に読了。500ページくらいあるこの本を、少しずつ読み進めるのが最近の日課で、あと3冊で現在刊行されている部分に追いついてしまうのだと思うとちょっともったいないような感じだ。 この7巻目は、アウグストゥスによって成されたローマ帝国の2代目皇帝ティベリウスから5代目皇帝ネロまでを描いている。帯の裏を引用すると、
ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロ――帝政を構築したアウグストゥスの後に続いた四人の皇帝は、人々の痛罵を浴び、タキトゥスら古代の史家からも手厳しく批判された。しかしながら帝政は揺るがず、むしろその機能を高めていったのはなぜか。四皇帝の影ばかりでなく光も、罪のみならず功も、余すところなく描いて新視点を示した意欲作。ローマ史を彩る悪女・傑女も続々登場。
たとえば、ネロなどは枕詞として「暴君」という言葉がついてしまうようであるらしいのだけれど、上の文章にもあるように、この本では「罪のみならず功も」しっかりと描かれている。この著者の書きたいと思われるペースで書かれているシリーズでは、スポットを当てた1人1人の人物をしっかりと辿っていくので、読む方としては悪名高き皇帝たちであっても、すべての面においてそうではないということを知ることができるのだ。 そして、この一連のシリーズを読んでいると、ローマ人が法を重視し、平時ではインフラとしての街道網の整備を重んじ、戦時では兵站を万端にすることがはじまりとなるというように、その堅実さというか、緻密さが感じられておもしろい。そして、そういう性質を持っているところが、稀に見る国土を有する帝国を長期間に渡って堅持しえた根底だったということなのだろう。そして、表立った歴史には現れてこないそういった些細なことに尽力するたくさんの人たちがいたからこそ、ある種の悪政でもシステムが機能していたのだろうし、ローマの覇権が(基本的には)揺るがなかったのだろうなと思う。 以前にも書いたように、学生時代は日本史を選択していたので基本的なこと以外はほとんど何も知らずに読み始めたシリーズだけれど、読めば読むほどおもしろく、手にとってよかったと思う。 また、著者はこのシリーズを通じて、印象づけたい事柄等を本当に繰り返し述べてくれている。たとえばそれは、「人は見ようと思う現実しか見ない」というフレーズであったり、ローマのインフラ整備への取り組みなどだ。そのために読み手の方では、複数の巻に渡って繰り返しそれらが語られるので、著者の歴史観や、重要だと信じているであろうことを感じ取ることができる。そして、個人的にはそれに共感できるので、読み進めていくうちにこのリズムやスタンスがかなり読みやすく、入り込みやすいものになってくる。こういうのって、長い小説のシリーズを読んでいるときにもあるけれど、本の中に近づいていくような気がして愉しい。
いつものように、いくつか引用。
ピソが、陰にまわってのコントロール役に徹するのではなく、表に出ての口出し役をやってしまったからである。与えられた任務を過大に受けとってしまう人がいるが、そしてそれを、ことごとに顕示する人がいるが、ピソはこの典型ではなかったかと思う。(87ページ)
法律の結果である各種のシステムに対しても適用された。つまり、システムとはそれが何であろうと現状に適応するように”修理修復”さるべきものである、それを怠ればシステム自体に疲労をもたらし、ついには崩壊するという、長いスタンスから見れば大変に非経済的なことに終わることを知っていたのだ。(……)時折の「手直し」をしさえすれば機能性の維持は可能というシステムを構築したことほど、(……)基本形がしっかり出来ていたという証拠であるからだ。(120-121ページ)
彼らは、偽善を、日本の辞書にあるような、見せかけの善行とだけは考えなかった。偽善を、上等と下等に二分したのである。日本の辞書の説明は、ギリシア人にすれば下等の偽善でしかない。 ギリシア人の考えた上等な偽善とは、たとえうわべを装おうとも見せかけであろうとも、それをする目的が公共の利益にあった場合である。ギリシアの哲学者たちは、この種の偽善を、政治家には必要な手段であるとさえ認めたのだ。必要悪、ではない。もっとポジティブな意味を持つ「悪」である。(142ページ)
歯車といえば、いかに個々の歯車が良く出来ていても、それでイコール機能の向上にはならない。個々の歯車をかみ合わせてこそ、機能も向上する。時速五百キロの高速を出せる列車の一日に一本よりも、時速三百キロでも十五分に一本ずつのほうが効率向上に益するのと同じである。 高速道路式の街道は、一本だけならば、紀元前のペルシア帝国にすでにあった。だがそれを、街道網というネットワークに作り換えたのはローマ人である。郵便も、ペルシア皇帝がすでに開発していた。だがそれを、郵便網という感じで帝国全域に張りめぐらせたのはローマ人である。(315ページ)
悪事を働かねばならない場合は一気にやるべしと、マキアヴェッリも言っている。他民族侵略という悪行は短期に済ませ、戦後処理を充分にしたほうが、征服者にとっても被征服者にとっても好都合、ということだ。ここでは、侵略はなんであろうといけないという、理想主義は拝す。歴史は、侵略の歴史でもある。つまり、人間の悪業の歴史でもある。これが人間性の現実ならば、悪事による弊害をいかにして少なくするか、にも、人間の知恵を働かせる場所はある。(418ページ)
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お知らせ
『バイオ・ハザード』のゲームは、昔怖がりつつやりました。1と2を。
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