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2002年08月13日(火) 『ローマ人の物語�此.僖�ス・ロマーナ』

『ローマ人の物語�此.僖�ス・ロマーナ』読了。塩野七生。新潮社。
 帯の裏にはこう書かれている。


 天才の後を継いだ天才でない人物が、いかにして天才が到達できなかった目標に達したか――。
 志なかばに倒れたカエサルの目標を引き継ぎ、半世紀をかけて達成し、巧みに共和制を帝政へ移行させた初代皇帝アウグストゥス。
 ローマを拡大安定成長の軌道にのせるため、構造改革を実行し、「ローマによる平和」を実現したアウグストゥスの運命と意思の物語。


 この物語は、ローマの歴史をたどっていくなかで、それぞれの時代ごとに中心となる人物に焦点を当てていくというのは以前も書いた通り。そして、この巻ではローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス(オクタヴィアヌス)が中心となっている。そして、作者は最初を「読者に」という短い文章からはじめ、いきなりこう断っている。


 この巻の主人公になるアウグストゥスは、第�郡�に登場した人物の中でもひときわ生彩を放っていたスッラのように痛快でもなく、第�検Ν拘�を通して圧倒的存在を誇示したカエサルのように愉快でもない。
 実戦の指揮をとればことごとく負けた事実は、第�拘�の後半で紹介したとおりである。それゆえにこの第�佐�では、手に汗にぎる戦闘場面もなければ、あざやかな逆転勝利を読む快感もない。(7ページ)


 もちろん、アウグストゥスは�拘�ですでにオクタヴィアヌスの名で登場しており、このシリーズの読者であれば彼のその慎重なやり方と軍事面での才能が(これまでのローマの英雄たちがそれに秀でていたのに比べると)圧倒的に欠けていることはわかっている。それでも、あえてもう一度そう断っているのだ。ただし、300ページ以上の本の最初にこんなことを言ってそれを鵜呑みにするのはちょっとせつない話で、これは逆説的に違った楽しみ方ができますよと言っているのと同じことだ。
 現に作者はすぐにこう続ける。


 しかし、それでいて私は、彼の生涯と業績を追っていた間、一度として退屈したことはなかった。この男は、三十三歳で戦場に出る必要がなくなってから七十七歳で死を迎えるまでの長い歳月、別の意味の戦争を闘いぬいたのだと感じたからである。(7ページ)


 そして、書くほうがそうであればたいていの場合読者の側でもそうであり、読んでいる間退屈はほとんどしなかった。正直なところ、ちょっとうーんと思うところもあったけれど、それでもいままでの巻とは違った意味でとても興味深く、おもしろかったのだ。

 この巻では長い間、一人の男が不断の意思を持って一つのことを成し遂げるまでが書かれており、それらは本当に何十年と言う年月をかけて少しずつ進められるので、最初ある兆候が表面に現れてきたときにも、ナビゲーターでもある作者の解説がないとそれを見逃してしまう。たとえば、アウグストゥスが目指すところは帝政なのだけれど、そのためにまずやるのが内戦を戦い抜く中で自らに集中した権力や特典の元老院(共和制の根幹)へ返還といったことである。そのときには、元老院側は狂喜する。なにしろ、権力が一手に集中したアウグストゥスが、それを振りかざしたりしないかと心配していたのだ。ローマは(とりわけ元老院は)反共和制的なるものにアレルギーのようなものを持っており、いままでの歴史も共和制を打破しようとする勢力を追い落とすことの連続という側面もあったくらいなのだから。
 けれども、アウグストゥスはそのように元老院側にそんなことはしませんよ、むしろ権利を放棄しますよと一度餌をまき、そのかわりに一見たいしたことではないようなことを要求する。それらはたいていの場合ささやかな(と思われるような)ことであり、要求は反対もなく受け入れられる。けれども、数年後そのときに与えたささやかな権限が、実はアウグストゥスの目指す帝政への移行に際して、非常に大きな意味を持つことが明らかになってくるのだ。そういうのは、本当に見事と言うほかはない。そしてそういうのがひとつではなく、何種類もある。驚いてしまうくらいに、多岐に渡って。伏線だらけの人生という感じなのだ。

 もちろん、もともとの性質的なものもあるのだろうけれど、自らを後継者に指名してくれたカエサルが志半ばにして暗殺されていることを知っているアウグストゥスは、だからこそなおさら急進的にことを進めるのではなく、敵を作るのではなく、ゆっくりと水面下で着実に進めることをそのスタイルとしていたのだ。
 もちろん、カエサルがポンペイウスを破り、五十代でようやく自らの目指す状態を構築しなければならなかったことに比して、アウグストゥスは20代〜30代からのスタートをとることができた、ということもそのスタイルを形成する一助とはなっていた。気をつけてさえいれば、時間はたっぷりあったのだ。

 そのために、インフラ整備の街道網の構築であっても、軍制制度であっても、あるいは税金に関する諸事項でも、アウグストゥスは一時にすべてを施行してしまうことはしない。そうではなく、まず一部を実行に移し、機が熟してきた頃に自らが思い描いていた形へとゆるやかに変更をしていく。様々な領域についてそうだったので、常に本心を隠すようなやり方でやっていたために、確かに見た目の派手さのようなものはない。けれども、それらはローマの安定と平和のためにという目的を達成するための手段であり、そういう意味で言うと、時代に必要とされた人物であると思う。
 強く、かつ持続する意思を持って、自らの信念とするところを現実的に貫き通すための方策と伏線を惜しまなかった人、というところだ。このシリーズに登場してくる主要な人物を比べてみても、本当にいろいろな人がいるなとあらためて思う。

 人物と時代というのは確かに重要なもので、たとえば三國志の曹操も人物見に、平時の奸雄、乱世の英雄というようなことを言われていた。そう意味で言えば、どんなに優れた素質を持った人物でも、生まれる時代が違ったために開花することがないということだって充分ありえる。
 そして、カエサルによってある程度芽の巻かれていた種をしっかりと開花させるためには、着実に自らの目指すところを知っていて、そこに向かって周到に物事を進める石橋を叩いて調べてから渡るようなアウグストゥスがふさわしかったということなのだろう。本書の中でも、ローマ史研究の権威の言葉「アウグストゥスは、アレクサンダー大王やカエサルのような、圧倒的な知力の持ち主ではなかった。しかし、あの時期の世界は、彼のような人物こそ必要としていたのである」が引用されているし。

 そのように、適時その時代に見合った人物が登場し、その身の丈にあった、性質にあった貢献をすることによってローマ世界を形成していくのだから、歴史は不思議で魅力的だと思う。

 また、このシリーズは学者による歴史書ではなく、作家による人物に焦点を当てたものであることは、読む愉しさを充分に与えてくれている要素のひとつなのだけれど、それだけに随所に感じ入るような部分がたくさんちりばめられている。乾いた、味気のない歴史を語るというよりも、生きた人間を活写すると言うのにふさわしいような本なのだ(だからこそ読みたくなるし、ページを手繰ってしまうわけだし)。
 そして、この巻の最後のエピソードもそういうトーンに彩られているいい終わり方だった。


 そして、いつものように気に入ったところをいくつか引用。たくさんのことを忘れてしまうので、あとで読み返して思い出すために。


 しかし、その彫像のすべてが三十代のアウグストゥスを模したものである。(……)アウグストゥスはわざと、青年期とローマ人が考えていた三十代に、公的な自分のイメージを限定したのだと思う。(……)彼が確立しようとしていた新生ローマのイメージとしても、静かで晴れやかであるために攻撃的でなく、それでいて若さからくる活気も充分な三十代がふさわしい。(39〜40ページ)


 この軍制改革が、軍備縮小と平行して行われた点も興味深い。常設軍ともなれば、可能な限り少ない経費で最大の効果をあげる組織に作らなければ、国の経済力がそれに耐えきれなくなる。耐えきれなければ早晩、属州税の値上げをせざるをえなくなる。だが、値上げしようものなら属州民の不満が爆発し、帝国外の敵への防衛どころか、帝国内の安全も保障できなくなるのだった。(52ページ)


 アウグストゥスが、経済の振興こそがギリシアの再建につながると信じていたと思えるのは、列柱で囲まれた広い市場を市の北部に建てて、それをアテネ市民に贈った一事にも示されている。これに対してアテネ市は、ローマとアウグストゥスに捧げた神殿をアクロポリス上に建て、アウグストゥスとアグリッパの彫像をつくってその中に立てることで返礼とした。
”貿易センター”を寄付するローマ人と、そのお礼に神殿と彫像を贈るギリシア人。地中海文明の二大主人公であるこの二民族の、性向の差異がうかがわれて面白い。(112ページ)


 平衡感覚とは、互いに矛盾する両極にあることの、中間点に腰をすえることではないと思う。両極の間の行き来を繰り返しつつ、しばしば一方の極に接近する場合もありつつ、問題の解決により適した一点を探し求めるという、永遠の移動行為ではないだろうか。自由と秩序は、互いに矛盾する概念である。自由を尊重しすぎると秩序が破壊され、秩序を守ることに専念しすぎると、自由が失われる。だが、この二つは両立していないと困るのだ。自由がないところには進歩はなく、秩序が守られていないと、進歩どころか今日の命さえ危うくなるからだ。(……)
「公正を期してつくられるのが法律だが、そのあまりにも厳正な実施は不公正につながる」(151ページ)


 墓碑に刻まれた文の中にも愉快なものが少なくなく、ローマ人の健全な死生観をあらわして余りある。
「おお、そこを通り過ぎていくあなた、ここに来て一休みしていかないか。頭を横に振っている。なに、休みたくない? と言ったって、いずれはあなたもここに入る身ですよ」
(……)
「これを読む人に告ぐ。健康で人を愛して生きよ。あなたがここに入るまでのすべての日々を」(257ページ)


『ローマ史』の中で、ティベリウスの戦線復帰を兵士たちがどのように迎えたかを、次のように叙述している。
「(……)自分たちの前に姿をあらわした彼を見て、兵士たちは喜びのあまりに泣き出したのだった。そして誰もが、隊列が乱れるのもかまわずにティベリウスに走り寄り、口々に喜びを述べ、その手にふれようとさえする様子は、規律の厳しさで知られたローマ軍団では見られない光景だった。
『夢ではないのでしょうね、総司令官、われわれが再びあなたの指揮下で闘えるなんて』
『わたしはあなたの下にいたのですよ、総司令官、アルメニアのときです』
『わたしは、レティアの戦線であなたの部下でした』(293〜294ページ)


 カエサルが考え、その後を継いだアウグストゥスが巧妙に、嘘さえもつきながら確立に努めた帝政とは、効率よく機能する世界国家の実現であったと、私ならば考える。その証拠に、心情的には共和制主義者であった歴史家タキトゥスですら、属州では帝政のほうが評判が良かった、と書くしかなかった。つまり、六百人には不評でも、六千万人には好評であったということである。だからこそ、「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」は長つづきしたのである。(337ページ)


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 お知らせ

 今日の久しぶりCDはDebelah Morganの『It's not over』。98年8月29日発売。
 日本盤を持っているのだけれど、帯には「21世紀の歌姫」って書いてある。
 期待度が高かったのだろうな。最近あんまり名前は聞かないけれど。
 でも、この人は歌うまいなあと思う。きれいな声に加えて叙情的な感じもあって。


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