Sun Set Days
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| 2002年07月22日(月) |
『ローマ人の物語�検.罐螢Ε后Ε�エサル ―ルビコン以前―』 |
『ローマ人の物語�検.罐螢Ε后Ε�エサル ―ルビコン以前―』読了。塩野七生。新潮社。 以前のDaysでも書いていたように200ページくらいまでは読み進めていたのだけれど、今日は21時頃から駅構内のカフェでコーヒーを飲みながら続きを読んで、おもしろくて読み進めたくて、けれどもその店は22時で閉店だししかも改札口の内側だし……ということで、一旦中断する。 そして、そういうときに閉店を気にしないためには終日営業しかないだろうと思って、部屋の近くにある24時間営業のファミリーレストランに行く。そこでサラダとドリンクバーを注文して、読了するまで、つまり23日の0時45分過ぎまでずっと読み続けていた。自分の部屋で読むという選択肢ももちろんあったのだけれど、最近は外で読むのが個人的にはどうしてか気に入っている。 ドリンクバーではアイスティーばっかり飲み続けてしまった。
ユリウス・カエサル。 名前こそ知っていたけれど、具体的に何をどのようにやったのかということを、『ガリア戦記』の名前くらいは知っていてもよく知らなかった。そして、人物に焦点が当てられている『ローマ人の物語』のこれまで同様に、やはり魅力的な人物像に惹かれてしまった。それに、彼にはまだこれから読むことになるルビコン以後の数年の人生が続いていくことになるのだ。ローマからスタートし、ブリタニア(現イギリス)から、果てはアフリカまで、「英雄」という名前を冠するには十分すぎるほどの偉業を成し遂げているのだと思うし、その残りの部分をこれから読むことができるというのはすごく嬉しい。 ある種の長い物語があって、それがおもしろくて、まだ読んでいない空白が目の前に横たわっているときの嬉しい気持ちはたぶん昔からそんなに変わらないのではないかと思う。そして、読み終える間際に感じるこの本のつくる世界から離れたくないというような切実な名残惜しさのようなもの。今回の場合は『ルビコン以後』があることを知っているのでそうでもなかたけれど、�垢鯑匹濬�わるときにはどうなのだろう。
帯の背表紙側にはこう書かれている。
前人未到の偉業と破天荒な人間的魅力、類い稀な文章力によって、英雄となったユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)。古代から現代まで数多の人がカエサルに魅きつけられ、政治・思想・演劇・文学・歴史等々、数多の視点からカエサルに迫った。それら全てをふまえて塩野七生が解き明かす、ローマ人カエサルの全貌――ルビコン川を前に賽が投げられた時まで。
読んでみて思うのは、カエサルが自信に溢れた魅力的な指導者たる人物であったということと、それに併せて組織を操る術とそのための仕組みを利用することの重要性を心得ていたのだろうなということだ。 それは、ガリアの服従させた部族の子弟を幕僚に加えたり、またそのような部族の自治を(基本的には)認めていたことなどからもみてとることができる。一人の人間がすべてに目を配ることはできないし、その権力と影響範囲が大きくなればなるほどその傾向は強くなってくる。 だからこそ、ある種の組織をつくり、また既存の組織がある場合はそれを活かすことによって、様々なことが効率的に機能するようになることを目指す。そうでなければ物事は、とりわけ複雑な物事は円滑には進まないということになる。 また、その組織化は様々な形からなり、たとえばはたとえばガリアの有力者の子弟を人質としてローマに留学させたりすることなどもそのひとつに挙げられる。それは短期的には組織と呼ぶには少々異なってくるけれど、そのような形でローマに心酔した部族の若手の有力者が、”ローマ化”され故郷に戻る。そうすることによって、表面には現れない部分で「ローマ」という大きな組織に属す領域が新しく平定した地方にも本当の意味で広がっていく。そういう編み込み方、長期的な組織化が非常に巧みであったということができるのだと思う。
長期的な組織化に優れていたことはさらに他の形――たとえば、平定したガリアの地域に、通商の領域を広げていったことからもそうだということができるだろう。通商、つまり商売は社会基盤の基本的なシステムであるわけだし。 未開の地だった、あるいはそれに近かった場所に、本格的な通商がはじまり、交易によって少しずつ豊かになってくる。暮らしが豊かになれば、なかなか以前の生活水準に戻ることをよしとする人は少ないし、そこには政治的にばかりではなく、それ以外の方法でも属州を組織化していこうという方針が見えてくる。通商を、ローマを中心とする文明国という大きな組織に組み込むための方法にしているのだ。 ひとつひとつはただの藁でしかない物事を、それらの施策がいくつも束ねられることによってロープのように強固なものになっていくということなのだろう。 そういった仕組みをおさえるべきところはおさえた上で、うまく活かしていく。そのあたりが、カエサルのただの戦略や戦術の天才以上の存在にしているのだと思う。 また、自ら『ガリア戦記』を著するなど、本当にマルチな人なのだと驚いてしまう。天は何物も与えるというところだ。
それにしても、カエサルにしても、かつてのスキピオやハンニバル、あるいはスッラにしても、偉人と呼ばれるような人たちはみな人心掌握術を心得ていたということばかりではなく、情報に対する重要さを意識していることでは本当に共通している。これはもちろん、どんな状況であっても、現代であっても、通用することだとは思うけれど。 いつものように、いくつかの部分を引用。
母の愛情を満身に浴びて育つ。生涯を通じて彼を特徴づけたことの一つは、絶望的な状態になっても機嫌の良さを失わなかった点であった。楽天的でいられたのも、ゆるぎない自信があったからだ。そして、男にとって最初に自負心をもたせてくれるのは、母親が彼にそそぐ愛情である。幼時に母の愛情に恵まれて育てば、人は自然に、自信に裏打ちされたバランス感覚も会得する。そして、過去に捕われずに未来に目を向ける積極性も、知らず知らずのうちに身につけてくる。(29ページ)
私益は他益、ひいては公益、と密接に結びつく形でやるのが彼の特色である。なぜなら、私益の追求もその実現も、他益ないしは公益を利してこそ十全なる実現も可能になる、とする考えに立つからである。 この考えは、別にカエサルが天才であったから考えつき実行できたことではなく、われわれ凡人の多くも、意識しなくても日々実行していることである。自分自身のやるべきことは十全にやることで、私益→他益→公益となることによって。なぜなら、人間の本性にとって、このほうがよほど自然な道筋であるからだ。ルネサンス時代の政治思想家マキアヴェッリも、この考え方の、”市民権”を強く主張した一人であった。つまり、公人であろうと、その人の私益の追求は認められるべきである、と。なぜなら、私益の追求を公認することこそが、公益の実現にも、より健全でより恒久的な基盤を提供することになるのだ、として。(154ページ)
「政治もやり作戦もやり一兵卒の役までやったこの戦争の達人にとって、戦争というものはある巨大な創作であった」。ユリウス・カエサルは、ヨーロッパを創作しようと考えたのである。(331ページ)
しかし、この点がいかにもカエサルらしいところだが、彼は『ガリア戦記』を、大向うの受けを狙うことだけを考えて書いたのではない。 第一に、叙述は正確を期した。自らの誤りを正直に記し、敵側の理由も公正に記述した。カエサルは、正確に書くことこそ自分の考えをより充分に理解してもらえる、最良の手段であると知っていたからである。正確に書くことこそ自分の考えをより充分に理解してもらえる、最良の手段であると知っていたからである。意識的な嘘が一つでもあれば、読者は他の全てを信用しなくなるからだ。また、自分を一人称単数では語らず、カエサルと三人称単数で記していることも、叙述に客観性をもたせたいとする彼の意図に基づいていた。(399-400ページ)
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今日もふたたび椎名林檎の1stです。「正しい街」はかなりすきです。
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