Sun Set Days
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| 2001年09月23日(日) |
たまには切なく+訪れる秋 |
免許の書き換え手続きを終了して警察署を出ると雨が降っていて、傘を持っていなかった僕は近くにあったセブン・イレブンまで走って傘を買った。 店を出て早速買ったばかりの傘をひらく。 周囲の空気は随分と暗くて、午後になってそれほど時間が経っているわけでもなかったのにもう夕方のようだ。 すぐ前の国道は渋滞しかけていて、たくさんの色の車が続いている。 そして突然、昔のことを思い出した。 そういうことはよくある。 何かがスイッチのようになって、まったく唐突に脈絡もなく、思いがけないことを思い出してしまうのだ。 そしてしばし動揺してしまう。 あれれ? と思う。 どうしてこんなことをいま思い出してしまうのだろう? と。 そして僕はぼんやりと思い出したことについて考えながら、その久しぶりに訪れた区役所のある街の商店街をJRの駅に向かって歩いていったのだった。
そのとき思い出したのは大学生だった頃のことだ。 僕は大学2年生の夏のはじめから4年生の1月の終わりまで同じ人と付き合っていたのだけれど、その子と北海道の函館に一泊二日の旅行に行ったことがあった。 初日は強行スケジュールでいわゆる観光地的な部分をあらかた見て回って、二日目に雨が降りだした。 朝から小雨が静かに地面を濡らしていたのだ。 その日は五稜郭に行った。 五稜郭は戊辰戦争の最後の舞台となった地として知られていて、現在は大きな公園になっている。 僕らは傘を差して、ゆっくりと公園の周りを歩いて、それから公園の中に入ってやっぱり長い時間を歩いていた(その子も歩くことが好きで、よく一緒に歩いていたのだ)。 五稜郭タワーというのが公園の端にあって、それにものぼって、自分たちが歩いてきた場所を上から眺めた。 そのときは周囲の空気は白がかった灰色だったのだけれど、それでも随分と肌寒かった。 「寒いね」とか言い合っていたような気がする。 実際はどうかもうわからないのだけれど、記憶では確かに寒かったのだ。
どうしてか、そのときのことをふいに思い出したのだった。 理由はもちろんわからないけれどたぶん雨とか空気の感じとかが重なり合ってしまったせいだ。 周囲の景色のディテールが少しだけ似ていたのかもしれない。 まったく、脈絡がない。 久しぶりに思い出したので自分の事ながらびっくりする。 同じ年の子だったのだけれど、付き合っている間僕はずっとその子のことを尊敬していて、それはいまでも変わらない。 いまでは一年に一回くらい連絡を取り合うくらいだけれど、その子が頑張っているのを聞くと自分も頑張ろうという気持ちになるし、同じように思ってもらえたらいいなと思う。 そうして、考えてみれば、二年半も付き合っていたのに、待ち合わせをするときにはいつもどうしてか少し緊張していた。 結構頻繁に会っていたにも関わらず。 最後までそうだった。 喧嘩ももちろんたくさんしたけれど、仲直りできないはずはないとか根拠もなく思っていたし(もちろん仲直りは常にできた)。
別にいまはもちろん未練はないし、僕は男なので実際以上に思い出を良いものにしてしまっている可能性はあるけれど(男ってそういうものだ)、それでもその子が幸せになっていればいいなとは心から思う。 僕とその子の人生は異なる軌道をまわる人工衛星みたいにもう重なることはないと思うけれど、一度くらいはお互いが見えるくらいに軌道が近づくときはあるのかもしれない。そしてそのときには挨拶くらいは交わせればいいなとは思う。 「やあ」 「やあ」 というように。 「元気そうね」 「元気そうだね」 というように。 そのときにお互いがそれぞれ別の場所で幸せだったらいいなと思う。
って、なんだかすごく感傷的な文章になってしまった。 たまにはいいかなとも思うのだけれど。 やれやれ。
でも本当に久しぶりに思い出したので、なんだかやたらと懐かしかったのは事実。 しみじみしてしまった。
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先日、ボーリングに行ってきたと書いたのだけれど、その後僕の部署では筋肉痛がNimda並みに大流行。 そんな年齢を感じさせることになってしまって、みんななんとなく意気消沈。 それでも、比較的久しぶりの人が多かったボーリングはみんなの心のドアを叩いたようで、「また行きたい」という声が挙がっていた。
久しぶりにすることや久しぶりに会う人は、するまでや会うまでの敷居がちょっと高かったりしても、それをまたいでしまえば楽しいものなんだなと思うことが多い。
そしてその敷居もたいていの場合はちょっとしたものなのだ。 けれど、ちょっとしたものだってことはわかっているはずなのに意外と億劫になってしまうのだ。
それをえいっと超えてしまうためには、やっぱり一人の力ではなかなかに難しい。
そういうときには、それぞれの分野に好奇心旺盛な友人の存在が欠かせない。 自分がそれほど興味を惹かれないことに無理矢理に引っ張ってくれる友人。 そしていざやってみると意外と楽しかったりということはたぶん結構多い。 それだからやっぱり感謝してしまう。
だから自分も友人があまり興味を惹かれないものに無理矢理に誘ってみようとか思う。 そうしたら、意外に楽しいと思ってもらえるかもしれないし。
ということで、この夏3人で『A.I.』を観に行ってきたのだけれど、僕以外の2人にはデッドボールだった。 僕は不覚にもストライクゾーンぎりぎりで途中で泣いてしまったのだけれど、二人の口数は少なくなって……
観る前にとても期待していたあの二人の笑顔が懐かしいよ……
もうあの頃には戻れないのカナ……?
笑いあったあの頃……
君たちは輝いていたよ……
この感動を分かち合いたいのに……
ということに。
無理矢理誘うのは諸刃の剣だよなと思う今日この頃。 ちなみに、僕もいま競馬に誘われているのだけれど、とりあえず一度くらいは行ってみようとは思っているのだけれど、さてどうなることやら。 僕はギャンブルは麻雀しかしなくて(と言ってもそれだって社会人になってからまずほとんどすることがないのだけれど)、他のものにはどうしてか興味をもつことができないのだ。 ただ、今回の提案が魅力的なのは、ちゃんと競馬場に連れて行ってくれるというところ。 競馬場には一度行ってみたかったのだ。 目の前で馬が走るのを見てみたかったし。 よくテレビでやっているレースの後に外れ場券が一斉に宙を舞うところも見てみたいし。 ビギナーズラックで当たったらどうしよう(そういうことを考えている人は当たらないらしいけど)。
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最近随分涼しくなってきた。 朝晩は結構肌寒くすらある。 秋になると五感がクリアになるような気がする。 もちろんそれはただそんな気がするだけなのけれど、もう少ししたら紅葉も始まるだろうし、空もどんどん高くなっていくだろう。 散歩には気持ちのよい時期だ。 それに、長袖になることができるのもよい感じ。 半袖より長袖の方がすきなのだ。 特に深い理由はないけれど、重ね着とかするのは幸福な感じがする。 ボタンダウンのシャツに、セーターを羽織ってとか。 チャックのついたカットソーとか。 秋用の薄手のブルゾンとか。 新しい靴が欲しいなとふと思ったりする。 そう言えば手袋も。 でもまああんまり焦らずに、とりあえず季節が変わってしまうのを待とう。 これからしばらくは秋が続くわけだし。 時間はおそらくたっぷりあるのだろうし。
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出張生活時代のある日、空港で飛行機を待っていたら窓の向こうのポケモンジェットを眺めているおじいちゃんと孫がいた。 なんとなく微笑ましい光景だった。 おじいちゃんは孫に向かって、しきりに
ピカチョウ、ピカチョウ
と連呼していたけれど……
違うよおじいちゃんそれはピカチュウ……
ピカチュウだよ。
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変換と僕��
ポケモンと出したくて変換したら、歩毛門と出てきました。 かわいくないよ。
こっことひらがなで打って変換したら、国庫と出てきました。 それは国の金庫だよ。
チャラだとそのまま変換されます。
奥が深いよ、変換。
→つづく
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お知らせ
Text Sun Setではおかしな変換を募集しています(嘘。していません)。
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