でいり〜りり
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| 2002年04月20日(土) |
やさしさにこだわるとき、あなたわちっともやさしくないの |
りりわいろいろなひとにやさしくしてもらっています うれしいときにわ、うれしいし、なんだかこまっちゃうときだってあります。
りりがなにもしなくても、りりがいてくれるだけで、うれしいひともいるように、りりがいるだけで、くるしいひともいるのです。
「ただしさにこだわるとき、あなたわちっともただしくない」
その“ものさし”わ、じぶんのためのものであって、 だれかおさばいたり、はかったりするものでわないと、りりわよくしっています。
ただしさわだれのためでもなく、じぶんのためのもの。 こころがひらけないのわ、じぶんのただしさおひとにおしつけたくないから。 だからもう、だれにもじぶんおみせない。
「ただしさにあっとうされて、なにもいえなくなってしまう」
どあはしまりました。いまわのぶにておかけるときでわないこと、りりにだってわかります。
たいしたことでわない、とわ・・・りりわいえません。 そのひとにとってだいじなことわ、だいじなのです。
だいじなことお だいじにするために、しょうきょくてきに、はんこうしつづけるひともいます。それがしたしさのあらわれだと、そおゆうひともいます。
そのひとが、そのひとであるために・・ざいあくかんおもちつづけなければいけないなんて。
おばあちゃまに むかしいわれたことばが、 とてもきょうわむねにひびきます。
あなたのなまえおつけるとき、あなたがいきてうまれたこと、とてもかみさまにかんしゃしたのよ。
かみさま、りりにできることわなんですか?
あのこのかなしみが、はらはらとまいおちてくるゆめおみました。 ふりはらっても、ふりはらっても、かなしみがかみにはりついてきます。 まつげのさきまでも、ふりつもるのです。 まるで、 きせつはずれのゆきのように。
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