花も嵐も

さて、台風が迫りつつある現在、
なんとも痛ましいとしか言いようの無い現実が
我々の目の前に繰り広げられている。
こと、災害、事故に関しては去年にも勝るとも劣らないほどの
燦々たる被害が続出している。
地震、台風、大雨、猛暑、ハリケーン。
これでもかこれでもかと言わんばかりに
まるで自然が人類への挑戦状を叩きつけるとしか思えないほど
何かしらの災害が起こっている。
しかし、災厄は天災ばかりではない。
今年で日航機墜落から20年が経つが、そのニュースに
まるで呼応したかのように飛行機の墜落事故が相次いでいる。
戦争によって撃ち落されているわけではない。
乗客を多数乗せた旅客機が何度も落ちている。
そして事故は空ばかりではなく地上でも起こった。
航空機の相次ぐ墜落に先立つこと3ヶ月前に悲劇は起きた。
そう福知山線での脱線事故だ。一見しただけでは
どのような状況になったのか想像のつかない事故現場は
鉄道の安全神話を一瞬で吹き飛ばした。
過去にドイツの新幹線ICEが同じように脱線事故を起こしていたが
その事故現場に酷似したような悲惨さであった。
事故は事故を呼ぶのか、その数週間後には
ロンドンの地下鉄、バスで大規模なテロが起こった。
大破したバス、焼け爛れたチューブの姿は見る者の背筋を凍らせた。
このようにして悲劇、惨事が次々と起こり、我々はモニターを通して
その衝撃的な映像を目にする。しかし、無意識のうちに
そのような惨事に対する耐性がついてしまい
いつの間にか小さな悪事や悲劇に対して
無反応になってしまっていないだろうか?
(この項作者電池切れのため未完)
2005年09月05日(月)

Dag Soliloquize / tsuyo