責任転嫁

連日ニュースを賑わせている寝屋川の異常者の犯行ですが、
こういう報道の時にいつも出てくる表現が
「少年はゲームが好きで将来はゲームの…」
などという風に犯罪が犯した人間の趣味嗜好を紹介し
その趣味嗜好がいわゆる普通の人(この表現も曖昧だが)が
あまり好まないものであればあるほど
その趣味嗜好に原因があるようにするものです。
今回はたまたまゲームでしたが、ここには通常
「ホラー映画」だとか「アニメ」だとか「オカルト」だとかが入ります。
しかしこの報道の仕方は犯人の特徴を捉えたものではありませんし、
犯人が犯行を行った背景になんら関係の場合でもそう報道されてしまいます。
それはなぜか?単なるスケープゴートを探しているだけなのです。
こういう犯罪の場合たいていがそのような趣味嗜好とは一切関係の無い
どちらかというと犯人の人格上の問題が原因だったりするわけですが、
そのような人格上の問題を克明に描写したり批判したりすれば
いわゆる人権派の団体や有識者たちが猛烈な抗議を仕掛けてきますし、
犯人の方も冤罪であった場合は名誉毀損で訴えられる可能性があるのです。
そのため普通の人たちが眉をしかめるような趣味嗜好を犯人が持っていないか
探し出し、それ該当する場合はその趣味嗜好を攻撃することによって
多くの普通の人たちから賛同を得ることが出来るわけなんですね。
しかもその趣味嗜好に関してもできるだけマイノリティーな趣味嗜好を
取り上げればそういった趣味嗜好を持った人たちの反論が少なくて済みます。
こうすることによって事件の本質が包み隠されると共に焦点が逸らされ
人々の関心は秦の時代の焚書坑儒や戦時中の検閲、中世の宗教裁判にも
勝るとも劣らないマイノリティーに対しての弾圧に移って行くわけです。
このことに関しては「ボウリング・フォー・コロンバイン」で
自身も批判の矢面に晒されているマリリン・マンソンが
非常に鋭く的を得た発言をしていますのでチェックしてみると良いでしょう。
2005年02月21日(月)

Dag Soliloquize / tsuyo