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最近口を酸っぱくして言うほどでもないことなのだけれど やっぱりここら辺でもう一度整理しておく必要がある。 売れる=良いものという式は当てはまらない。 先日「世界の中心で愛を叫ぶ」を三文小説と糾弾したところ あれは売れたんだから勘弁してやれと言われたのだが、 売れたからこそ問題があるのである。良いものが売れたのなら それは問題が無い。このセカチューが売れたことの問題は 売れた量に反比例して作品の質が悪いというところに問題がある。 男子高校生の妄想のような小説に想像力の足りない女優が感動して 推薦の文を書き、それを見てさらに想像力のない人間がつられ、 そこから「何か売れているらしいから試しに…」という風に広がっていった。 何だかここで熱くなって言葉を重ねるのも馬鹿馬鹿しい話だが 実際のところ騒いでいる人たちが2年後、3年後に見て 再び感動できるのかどうかという点を考えてもらえばよくわかるだろう。 きっと時間が経てば木っ恥ずかしく思うに違いない。 つまるところ良いものは何年経ってもそのパワーを失わないが 勢いで売れたものに関しては力の衰えを通り越して恥ずかしくなるのだ。 小室ファミリー(懐かしい響きだ!)の音楽を今聴くとどう感じるか? 「ああ、そんなものもあったね」というような冷たい反応から 「それは言わないでくれ」という反応まで出てくるだろう。 このことからもわかるように真に「良いもの」以外は 自然に淘汰されていくのだ。だからこそ私は声を張り上げて言うのである。 何年も先に振り返っても恥ずかしくない良いものを探そう、と。 良いものに触れる機会が多いとそれだけ良くないものとの違いが 目に見えてわかるようになる。良いものを見分ける力、考える力を養えば それだけ自分の人生も豊かになっていくのではないだろうか? これは現実の生活にも密着していく。良いものを見分け、考える力があれば 怪しげな勧誘や、無駄の浪費なども無くなっていく可能性もある。 随分と虫のいい話になってしまったが、とりあえずは「売れているから」 という理由でそのまま受け入れるだけでなく 「それが何故売れているのか」と考えることをお奨めする。
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2004年07月10日(土)
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