ある先生のこと

最近知ってはいけないことばかり知ってしまう
とてもデンジャラスでデリシャスな毎日ですが、
今日は一つショックなことがあったのでこの場を借りたい。

大学受験の勉強をしている時にどうしても
授業を受けたいと思っていた先生がいた。
結局その先生がいる大学には入れなかったのだが、
滑り止めで仕方なく入った大学でその先生の講義が
あったと聞いた時は小躍りしたものだ。
もちろんその先生の授業を履修したのは言うまでも無い。
授業は月曜の一講目というハードな時間帯なのに
その苦痛を感じさせない面白さでもともと興味のあった
その分野に対してより多くの理解を深めることが出来た。
熱心に受講していたので成績はもちろん「優」だったが、
先生と直接話す機会は無く、おそらく先生にとっては
自分の印象は「その他大勢」でしかなかったと思う。
次の年も先生が授業で来られるというので当時仲の良かった
知人にその授業を勧めたのだが、
先生の都合で授業が不開講になってしまった。
理由はわからなかったが、生徒のレベルが低くて
嫌気が差してしまったのだろうか、などといろいろと考えたものの
結局その話題は立ち消えになってしまった。
その後、私が進路の関係上大学院の情報を集めている時に
その先生が所属している大学の情報も当たってみることにした。
しかし、不思議なことに先生の名前は無かった。
それこそ指導教員のリストを血眼になって探したのだが、
どこにも先生の名前は掲載されていなかったのだ。
きっと関西以外の大学に行かれているのだろうと思い
その場であきらめ、その先生の本を卒論の参考文献に
使用するということで感謝の意を示すことにした。
その後、私自身は別の大学院へ進むことになり、
今日に至るのだが、その先生のいた大学の生徒も
同じ大学院に進学してきた。しかも先生の研究領域と
同じ範囲を専攻していたというので、その先生の話をすると
返ってきた言葉を聞いて私は卒倒しそうになった。
先生は3年前に亡くなられたそうなのだ。
これで全ての説明がついたことになる。
突然講義に来れなくなったのは病気を患ったためであり、
指導教員のリストに載っていないのも
既に亡くなっておられたためである。
亡くなられたという言葉を聞いて先生の授業内容や
講義の風景が走馬灯のように甦ってきた。
人の死は突然やってくる。
先生も白髪の老紳士であり、病気を患われても
おかしくない年齢ではあった。
ただ講義に来られているときは体を悪くされている
という風には見えず、まだまだご健在であると思っていただけに
その時に受けた衝撃はより大きなものだった。
先生にとって私はその他大勢の生徒であったが、
私自身にとっては大きな影響を受けた
先生の一人であることは言うまでも無い。
今はもうお話を聞くことすら出来なくなってしまったが、
私自身の研究をしっかりと完成させることによって
先生からの御教授への報恩としたいと思う。
必ずや納得のいく研究にしようと固く心に誓ったのである。
2004年04月14日(水)

Dag Soliloquize / tsuyo